パンは、概念であり、人生である。【部屋とパンとわたし】
パンが、好きだ。
わたしはパンが好きだ。
どれくらい好きかと言うと、
①これを衝動買いして翌日着用してパン屋に行く
(可愛いけどパンすぎた)
②どこかに行くと必ず「現在地/パン・サンドイッチ」で検索する
(検索履歴がこれで固定されているので一瞬で調べられる)
③食べたパンでスプレッドシートをつけている
(昨年末からスプレッドシートで記録を始め、現在約200行。なお記録の軸は「値段とのCP」「美味しさ」「店の雰囲気」)
④会社の部活制度でパン部を設立する
(ただパン屋に行きパンについて語る部活。悲願)
⑤パン教室を2個掛け持ちする
(前者に通っていたが粉などに疑問を持ち、両方通っている。製法も違うしこね方も違う)
・・・といった程度には。
でも、パンが得意なわけではない
しかし、昔こちらのブログでも書いたが、
どうやら私の胃はあまりパンの消化には適していないようである。
その証拠に、今もまだ、パンをたくさん食いすると
翌日の体調がめちゃくちゃ悪くなる。
さすがにここまでくると、
「それでもなぜ私はパンをやめないのか?」
「私にとってパンとは?」
という問いになると思う。
ふと電車に揺られながら、そのことを考えた。
そこで、「パンが好きな理由」でぐぐっていろいろな記事を見てみた。
でも、こんな論調の記事が多く
あんまりしっくりこなくて。
・食感が軽い
・すぐに食べれて気軽
・調理パンから菓子パンまであって選ぶのが楽しい
などが書かれていたが、それは「私がパンを好きな理由」とは合致しない。
私にとって、栄養素の獲得は念頭におかれていないんだと思う。
じゃあ、私にとっての「パン」ってなんだろう?
それを以下に記載してみました。
【目次】
①パンは可愛らしい(概念として)
②パンは期待値と想像の泉である
③情報収集厨の琴線に触れる
④街を知れる
⑤上質な体験のCPが良い
⑥店員さんが魅力的である
⑦パンの不確実性
⑧「空腹」という不安の解消
⑨「迷い」という不安の解消
⑩会話のコンテンツとして強い
⑪自分を映す鏡になる
①パンは可愛らしい(概念として)
これは自分にとってまず真っ先にパンの意味である。
ほわほわで茶色くてまるくて可愛らしいビジュアル。
そして、それが束になって集団で存在する可愛さ。
焼き立てで登場するパンのシズル感もたまらない。
そもそもパン屋さんのビジュアルがやばい。
現実なのに現実じゃないような、完成された世界観。
おとぎ話にでも出てきそうな、ほんわかとした空間。
私にとって、パンは「見て買うまでの一連の体験」であり、
その随所に愛おしさを感じているんだろうな、と思う。
(沼部にあるアヤパン。可愛すぎる)
②パンは期待値と想像の泉である
私はパン屋に行くとアドレナリンがドバドバ出てしまうが、
それはなぜかと考えた時に
「食感」「味」「生地の弾力」など、
想像力の働く要素が複数絡み合っているからだ。
・甘いのかな?甘くないのかな?
・ふわふわなのかな?もちもちなのかな?
・軽いのかな?重たいのかな?
・表面と中面の差分はあるのかな?
など、永遠に好奇心を掻き立てられるところが、とても良い。
(実際、検証は一口でおわるので、本当は一口で良い)
(これは最愛のバゲットラビット(自由が丘店)であるが、なによりブールパンが至高なので全力で推していく)
③情報収集厨の琴線に触れる
そもそもパンは「知識欲あるヲタ心をくすぐるもの」である。
私はパンシェルジュ検定3・2級を持っているが、
(9月に1級も受ける予定)
パンはめちゃくちゃ奥深い。
パンの原料だけでも
・使われる粉の種類(小麦粉/米粉/ふすま/全粒粉/大豆粉などなど)
・使う粉の産地(カナダ/アメリカ/国産などによって味が異なる)
・粉以外に利用するもの(牛乳やバターを入れればリッチに、水と小麦だけならリーンに、といったように)
・酵母の種類(最近作った天然酵母のものは、ドライイーストのものと味が違うように感じた。酵母から種を起こすことの大変さや、どれを使うかなどにこだわりが出る)
パンの作り方にしても
・製法(ストレート法、中種法、湯種法、ポーリッシュ法など)
・生地の発酵方法(めちゃくちゃ何度も発酵させるものから、ほとんど発酵させない蒸しパンまで)
・焼き方(クラフトの堅いハード、柔らかいソフトなど)
作られるパンにしても
・国による差(イタリアならチャバタ、カナダならモントリオールベーグル、アメリカのベーグルとの違い、デニッシュパンは北欧で・・・など)
・パンの名称(名称の由来も面白いものが多い。また、同じパンでも呼び名が異なるものもある。あるいは同じ原料でもパンの大きさや長さによって名称が異なる)
・パンの種類(菓子パン、惣菜パン、食事パン、そのものが食事になるパン、など)
パンの食べ方にしても
・マリアージュ(ワインやチーズが有名。種類によって合うパンが異なる。引き立てる要素が違うから)
・塗るもの・乗せるもの(レバーペースト、スプレッド、ジャム、はちみつ、オリーブオイル、バター、チーズなどなど)
・料理(オーブンサンド、ホットサンド、サンドイッチなどなど)
といった具合だ。本当に、知識をいくら入れても足りないくらいだ。
④街を知れる
パン屋さんは街の顔でもある、と感じる。
(私は街をパン単位で記憶しているフシがある)
街を知る要素はいくつもあるかもしれないが、
「パン屋を通じて街を知ること」は、
私にとって、非常に有益であることに気付いた。
・どんなパン屋さんが土地に根ざすのか
・どんなお客さんが買いに来るのか
・店員さんやお店の雰囲気はどんななのか?
・この店のウリは何なのか、またそれはなぜか
などを考えることで、私は訪れた街について
はたと立ち止まり、「場」そのものについて考える機会を持っているのかもしれない。
(恵比寿のFRAU KRUMM。駅から近いわけでもないのに人気なのは、この街に生息する人のライフスタイルにブランドコンセプトがあっているからなのかな、など思ったり)
⑤上質な体験のCPが良い
小麦の価格の高騰のあおりを受け、
主食のなかではパンは高価と言われている。
でも、「パンを買うこと」は、趣味としては安いと思う。
特に高級パン屋、と言われるお店であったとしたらなおのこと、だ。
あのロブションであっても、パンの値段であれば単価で4桁には行かない。
美食家はお金がかかると思うが、
パンは先に述べたようにかなり奥行きがある趣味にもかかわらず
低コストで没入することができるのではないか。
(作ろうとする場合、その限りではないが・・・)
(これは渋谷にあるVIRONのモーニング。モーニングにしては1500円という可愛くない金額設定ではあるが、このなかから好きなものを選ぶ体験が良すぎて、また行きたくなっている)
⑥店員さんが魅力的である
私はパン屋さんで働いている人が大好きだ。
どんな動機でそこにいるのかはわからないし、
大変なお仕事なんだろうな、と思うけど、
(もちろんバイアスはあるだろうが、)
どこかのんびりとして、でも優しく、
自分の好きなものを取り扱う愛のような場面に
ときおり触れることがある。
若くてあどけない女子大生も可愛らしいし、
少し不器用そうな男子学生も応援したくなる。
肝っ玉で頑張っていそうなおばちゃんには元気をもらうし、
無愛想で職人気質なおじさんには尊さを感じる。
実際に、かつて出会ったあるパン屋さんのママ店長さんに心惹かれ、
折に触れて通い、近況を報告し、あるいは大事な人を紹介し、
コミュニケーションを取る中で、その人の人生に触れたこともあった。
パン屋さんは朝が早かったり体力勝負だったりと
本当に大変なことばかりと聞くが、それでも笑顔を保ちながら
お客さんと接している彼女に、深い尊敬の念を禁じ得なかった。
その体験からなのか?
私はパンに向かう人に悪い人はいないと思っているし、
言いようのない尊敬と愛着を持っているんだな、と感じた。
(これが私が、人生で最も愛したパン屋さんです)
⑦パンの不確実性
これは自分で作るとき、特に感じるものである。
パンは無菌状態で温度が一定な工場で作らない限り、
「気温」「湿度」「風」などの些細な条件で、
発酵時間や出来栄えに大きな差ができる。
もちろん職人は、そういう違いを
パンの完成前から見極めて調整しているそうだが、
その不確実さの前にもプロ意識のあるパンの焼き手、
そしてそのプロセスを経て出来た
「偶然の産物」とも言えるパンとの出会いに、
ある種のロマンを見ているのかもしれない。
(池袋タカセのスイートブレッド。この大きさで180円なので、本当に好き。やわらかくてふわふわで素朴で大好き。1日たって100円になってちょっと硬くなってトーストするのも好き)
⑧「空腹」という不安の解消
ここからは少し重めな話になるが、
学生の頃から軽度の過食症をやってきた、んだと思う。
きちんと治したというよりは
一時的にストレッサーが軽減しただけであり、
そのメンタリティは未だに健在。であるがゆえに、
「お腹が空く」という事象に対して、
とんでもない恐怖感と無能感を感じる。
もしかしたら、いつでもどこでもカバンから取り出して
何食わぬ顔で食べられるパンをカバンに潜ませておけば、
「自分は大丈夫だ」という感覚があるのかもしれない。
⑨「迷い」という不安の解消
私が空腹に並んで怖いのは、
「食事が選べない/決められないこと」である。
「自らが何を食べたいのか」という問いは、
自分にとって非常に重要であると共に、
まともに向き合うと永遠に時間が取られてしまい、
また、答えにたどり着くまでに思考体力を奪われる。
「これなら好き」「これなら良い」と言えるものが
決まっていることは、私にとって無条件に安心材料なのだ。
(ロシアでもパン!安定して美味しいパンは海外でも心強い。)
⑩会話のコンテンツとして強い
これは完全に副産物的なものではあるが、
自己紹介で「パンが好き」ということで、
他人とのちょっと突っ込んだコミュニケーションが生まれる。
パンと接点を持ったことのない人はほぼなく、
少なからず興味を持ってもらえるからだ。
私は知識量だけは自信があるので、
・おすすめのパンの種類
・(相手の家の)近所のおすすめのパン屋
・パンの食感や製法の違い
などであれば、立ち話レベルであれば
問題なくやりとりすることができる。
そういった「自分の十八番ネタを持っている」ということが、
コミュニケーションがやや下手くそな私にとっては、
心の支えになっているのかもしれない。
(これは複数人で行く向けのお店。果実園リーベルのフルーツサンド。フルーツサンド界隈ではダントツで美味しいと思う)
⑪自分を映す鏡になる
「どんなパンをどう感じるか」ということだけではなく、
「パンに対する感情や反応から、自分のコンディションをメタ認知できる」
というところが大きいのかもしれない、とも感じた。
・今日はパン屋さんにきてちゃんと心ときめいているな
・なんでパン屋さんに来ているのに元気がないんだろう
・今日はやたらリッチなパンばかり買っているけどどうしたんだろう
・いつもなら食パンを買うはずなのに今日はやけに惣菜パンばかり欲している
・パン屋で4桁使うのはおかしい、何かが狂ってるな
など。パン屋に通う回数が多くライフワークであるからこそ、
そこに向き合う自分のコンディションが鏡写しになっている
と感じているのかもしれない。
(普段なら絶対に手に取らないクロワッサンに手が伸びたのは、メンタルの変化ではなく、単にメゾン・ランドゥメーヌに来たから、でした)
まとめ:「パンは、人生。」
実利面・栄養面が全く無視された理由ばかりではあるが、
「パンは私にとって機能的価値ではなく、情緒的価値なのである。」
「そして、パンは私にとって人生である。」
という結論に落ち着いた。
たとえ体質に合わなくても、
ダイエットに向かないと言われても、
食事としてのCP(コストパフォーマンス)が悪くても、
私はこれからも、パンを愛し、パンと向き合い続けるんだろうな。
追記:似た世界観の記事を見つけた
自分の言いたいことを少しでも触れている記事は
この世にないものか・・・と探し回っていたのですが、
こちらは(著者は当事者ではないらしいが)しっくりきました。
・ショーケースに弱い(雑多にいろいろある感じ)
・パンは変数が多い
・お店の差別化が無限になる
やっぱり、パンは概念であり人生、なのです。
〜完〜