エモと考察の狭間で。

エモと考察、バリキャリとゆるキャリ、厭世観と幸福論、事なかれ主義と突発的行動主義。ゆらぎのなかを揺蕩う、某ベンチャーマーケターの手記。

【徒然なるままに、2月。】自分の中の「鉱脈」を見つける、ということ。

※徒然と記録していたものの、放出していなかったものを、短いながらも放出します。誰かの何らか届くと良いなと願いを込めて。

 

自分の中の「鉱脈」を見つける

例えば、カラオケに行ったあと、お風呂の中で歌が溢れ出てくること。
例えば、お笑いを見たあと、些細なことでも笑みが溢れること。
例えば、読書をしたあと、文章が湧き出してくること。

 

こういう感覚を持つことはないだろうか。
私は、(上記のような行為が日常的でないからかもしれないが、)とてもある。


人というのは、周囲の環境や刺激に対する反応をすることで
日々を生きているのであるから、

ダイレクトな刺激を受けると、その方向につながる「鉱脈」のようなものが
自分の中を血流みたいに流れ出す感覚を覚えることがある。

 

だからこそ、日々のなかで「自分の中に新たな鉱脈を通す」
ということを意識して生きるのは大事なんだと思う。

 

その契機は別になんだって構わないのだけど、
できれば意図的に(向かいたい方向性に寄与するような、
あるいは好きと言えるような類の)そういう刺激を与えることが、
前向きに生きていくには大事なのではないか。

 

因みに、それをある人は「自分のご機嫌をつくる」と表現していた。
私はそういう言葉を、とても素敵だなと思った。