エモと考察の狭間で。

エモと考察、バリキャリとゆるキャリ、厭世観と幸福論、事なかれ主義と突発的行動主義。ゆらぎのなかを揺蕩う、某ベンチャーマーケターの手記。

人間の生き方は4つのゲームに分類できる、という仮説(追記有)。

おひさしぶりーふ。

 

そこそこにしんどい調査期間を終え(月~木)、
それで金曜日の午前中は倒れて会社に行けない
・・・といういつものやつ。
最近会社では安定的に真顔のくろえです。友達いません。

 

さて、どうでもよいことはさておき、
ここで最近の僕の研究テーマと成果を発表します。

納品近いしいろいろ詰んでるけど、言いたくなったので言います。

 

最近の自分の関心領域は
「人が自らの人生(および大事なこと)を何であると捉えているか」
という話なんですね。

で、最近すごく腑に落ちた話があったので。

 

世の中の人間は、言わば4種類のゲームをやっていて、
それによって人間関係の構築方法や相性が決まるのではないか?
・・・ということ。

 

何を言っているか意味不明だと思うので、頑張って説明します。
コンサルなので2軸で切ってます。

 

■人間がどんな人生を生きているかを端的に表すための2軸

・1つ目は、「生きている時に何を見ているのか」ということ。
自分もしくは他人としましょう。

・2つ目は、「人生の目的が何か」ということ。
何が第一義か、ということかな。社会性の有無かもしれない。
承認主体の人(他人の承認ベース、社会性あり)と探求主体の人(自分の欲求ベース、社会性なし)かなと。

 

※ほんとはZ軸に「スペック」がある(要は「ただしイケメンに限る」)んだけど、その話をすると悲しくなるのでやめておく。

 

で、その2軸にしてみたら、こんなんできた。

 

■人間がどんな人生を生きているかを端的にゲームで表したものがこちら↓

※筆者はゲーム詳しくないので完全にイメージです

 

f:id:cloalien:20160919023226p:plain

 ※グラディウスでした、誤字さーせん!

 

お分かりいただけるであろうか。
以下に説明を加える。

 

■各象限の特徴

【第一象限】「ラブプラス」タイプ(他人志向、社会性無)

他人の価値観や思考に興味を持ち、関係性を探求するこのタイプ。恋愛ゲーやり込むタイプ。人間厨とでも言おうか。
恋人好きすぎてうっかりポエムを書いてみたり、シチュ萌えしたり愛のささやきあいにぼむぼむしちゃう人。他人との時間が至高で、好ましい関係性を紡ぐことがなによりも大事、みたいなやつ。ただし、肝心の人間関係が健全でない場合、ファン化、奴隷化、精神崩壊、被DVなど、なんか拗らせる。やつ。
因みに筆者は概ねここ(聞いてない)。西野カナとかもここか?岡崎京子の世界観とかはこっちかな。きみが心に棲みついたのキョドコもこのタイプ。 
テニプリで言うと・・・うーん・・・さくのたんとか・・・?ちがうか。。あんまいなそう。

 

【第二象限】「マリオパーティー」タイプ(他人志向、社会性有)

他人に同調し、埋もれながらも相互承認で生きていくことを志向しているタイプ。某母校大学のウェイとかウェイとかはここ。なんにせよ小集団を作ってそこにコミットしている人はここな感じ。会社愛!みたいな人とか。この世の多くの人間は、(いや、日本人の多くは)ここかな。私の母校の人とか、特に女性には多い気がする。一番うまくいきていけるタイプ。共同体にいる以上、これが増えるのはある種当然か。
ぱっと思い出したのは、テニプリで言えば菊丸くんとか桃ちゃん先輩とか。ちょた(鳳長太郎)もここかなあ。ていうか六角?

 

【第三象限】「パワプロ」タイプ(自分志向、社会性有)

会社のランクや社会的ステイタスを争うために明確なルールの決まった社会で働いており、それが個人の価値観にも如実に反映されている(逆か?)パターン。勝負する場所を見極め、一番でありたい、自分の能力を限界まで高め、最大限金銭的価値(とは限らない(社会的価値とか社会的ステイタスとも言い表せるかもしれない)けど、ここでは便宜的にそう表現している)に置換したいというタイプ。良くも悪くもプロ。
外銀マン、証券マン、商社マン、コンサル、・・・なんかは全部ここなんじゃないかな。男性は多そう。キャリアを一定志向している人はみんなここなイメージ。
上記だけだと、経済的価値やビジネススキルに特化しているような印象を受けるが、そういうわけではない。女性でも、自分の能力で生き残ろうとしている人とか、社会から見た「良い女性」であろうとする人はここに入る感じ。パワプロでいうと野球選手の奥様になるようなゴールイメージか。芸能人とか、プロ彼女とか、東カレに出てきそうな感じの人はここに入るので、女性も一定ここかもしれない。
で、テニプリで言うと、もうほとんどここですね。スポ根だったわ、あれ。イメージ強いのは、赤也くんとかかなあ。なんかもうちょっとキョロ充っぽいのでいうと、観月先輩とか?不二弟とかもここかな。

 

第四象限】「グラディウス弾幕ゲー」タイプ(自分志向、社会性無)

やりこみゲーを職人技的にこなす人。繊細な文学的表現を好み、内にこもり美を追求する感じの人はここかなと。特殊技能持ってたり、芸術家気質だったり、みたいなイメージ。無骨だけど自分の追求することを(社会的承認よりは自らの探究心ゆえに)ちまちまやりこむ職人肌。
テニプリで言うと、大好き真田弦一郎とかは、第三象限ではなくこっちな感じがするんだよなあ。黙々と淡々と鍛錬していそうな感じが。不二くんもこっちのイメージね。孤高の天才みたいな。

 

一応例を図に当てはめてみた。

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■ここから得られる気づきと示唆

この軸を切ることで、いくつかの示唆を得られる気がするので記述しておく。

 

【気づき】

・基本的に、別のゲームをプレイしている人とは、ゲージが違うので戦うことはできない。
例えば、ラブプラスを日常プレイしている人の前に、突然パワプロやってる人が現れた場合、そもそもフィールドは放課後の教室じゃなくて野球場だし、ラブプラスでほしいのは甘い言葉だったり優しい対応だったりするのに、いきなりバット振り出すし、ラブプラスでやりたいのは両者の駆け引きなのに、パワプロポジションや筋肉回復にしか興味がなかったり、みたいな。

・とはいえ、前提として、たぶんひとはこの中でも「メインでプレイしてるゲーム」と「理解でき、参加もできるゲーム」があるはずで、隣のマスくらいまでは越境できる気がしている。そのカバー範囲は個体差があるかもだけど。
例えば、私は基本ラブプラスしてるけど、同じ探求という意味ではやりこみゲーをやる人は一応理解できる(地味にちまちまソリティアするとかは一応できる)し、他人に興味がある点ではウェイも一応理解はできる(ので、マリオパーティーとかボードゲームは一応出来る)。

・対局に極度によっている人種同士は、お互いの人生のゲームのルールがぜんぜん違うので、お互いを理解することができず(理解する機能というか相手のゲームの変数というかゲージがないので)相容れない可能性が高い。
例えば、
第一象限と第三象限。それはさっき説明した通り。第二象限と第四象限とかも同様。弾幕ゲーやってる引きニートと某大学のテニサーウェイの親和性の低さを想像してもらえば何となく分かるかな。

 

【教訓】

・自分がなんのゲームをしていて、どこまでは対応できて、相対する人間がメインでやってるゲームは何なのか、ということを理解することで、自分との親和性や、関わり方を考えることは出来ると思う。自分の得意な人間としか関わらない、というのは難しいし、ときに自分と違う世界の人間と交わることにも、場合によってはそれなりに意味があることもある(かもしれない)し。

・そして、もしゲームが違うことを相互に理解出来てると多分すごい。相容れないはずのセグメントにいても、「(普通にしていたら)理解できない」ということを認識できるので、一定打ち手を想定しながら人間関係を構築できる可能性が生まれる。

・そして、双方にゲームが違うことを理解すれば、「なんでわかってくれないの!?」問題は一定解決する気がする。ラブプラスの人は他者理解のゲージを持ってるしそこをレベ上げしたいけど能力とか筋肉量みたいなゲージはなくて、前者のゲージをパワプロの人に求めてもそういうゲームじゃないしね、という感じで。他人に建設的でない期待をせず、より好ましい関係構築に向かうことが出来るのではないか、という期待。

・(おまけにすぎないが)たぶん人間社会の中で圧倒的に多いのは【第二象限】。ちゃんと組織社会のなかで生きれる人。続いて【第三象限】。資本主義社会でうまくやっていける人。で、社会でうまくやれないのはそれ以外のタイプなんではないかなと。集団社会もしくは資本主義社会に適応出来ていない可能性が高いので、第一、第四象限に属する人間はそのことを認識したうえで、第二、第三象限との関わり方や適応方法(せめて理解できるように)を思考すべき。

・逆を言えば、第二、第三象限の人たちが、第一、第四象限の人を理解する必然性はそこまでないかも。 生きているうえで必要になったら、という感じか。それをどうすればいいのかは私にはわかりません。

 ・さっきこれ上司に喋ったら「象限の中にも濃淡があって、象限の中で濃淡の違う人だと逆にけんかとかしちゃうかも。逆に俺は違う象限の人とのほうが一緒にいれるなあ」とのことだったので、理解できる、ということと、好きである、とか、一緒にいる、というのは違うのかも知れない。

・ただ、これは上司が「自分がどこのゲームをどのくらいの濃度で戦っているか」を認識しているからなのではないかとは思った。さらに言えば、「自分がどこのゲームを戦っているか」を自覚していない人の場合、自分のゲームで戦うことを全種類の人間に要求するので、その場合は同じ象限内でないとうまくいかないんだろうな、とも思った。

・そして、「自分がどこで戦っているのか」と「自分がどこまで理解・適応可能か」というのはそれこそ経験を通じてしか体得&拡大できないらしい。

 

・・・というわけで深夜テンションで投稿したけど、
割と人間の価値観をすっきり2軸で表現できる
整理フレームな気がするので、ぜひ使ってみてください\(^o^)/(?)

 

ではではあでぃおーす。よきしるばうぃくを!
(なお私のしるばうぃくは終焉を迎えた!明日は会社だ!死にたい!)