エモと考察の狭間で。

エモと考察、バリキャリとゆるキャリ、厭世観と幸福論、事なかれ主義と突発的行動主義。ゆらぎのなかを揺蕩う、某ベンチャーマーケターの手記。

痛みとか悲しみと向き合い続けることこそが生きることの意味なんじゃないかという仮説を私は持ち続けて生きていくんだと思う、というおはなし。

私が人生を通じてやりたいことは何か、
と自分の胸に問うてみる。

 

想いを持っている人、ものに対して
何かしよう、役に立ちたい、と思えば思うほど、
「どうにもならない」「何もできない」
という感覚を持つようになるときって
人間だれにでもあるんじゃないかと思う。

 

そういう人生の悲しみというか、
痛みや悲しみや叫びを帯びた何かを、
大事だと思う人と一緒に見たいんだ。感じたいんだ。

 

そして、その痛みを越えることは、

無感覚になることでも、
枠組みを決めることでも、
忘れることでも、
結論付けることでも、

ないと思っているんだよな。

 

祈るしかないことを知っているけど、
それでも何かが起きるんじゃないかと
希望を持ち続けて、
じくじくと考え続けて、
痛みを抱え続けて生きたい。

 

生き続けていくってそういうことだと思うし、
それが出来る人生は幸せだ。

 

私にとっての幸せの形はそんな感じ。
物質にも、思考にも、結果にも、
規定されないきゅっとした痛みに、
どうしようもない幸せを感じるんだ。

 

ふゆ。今週も終わりだ。

 

今日はお仕事が終わったら、
末期がんのおばあちゃんのところへ。

それでも毎日飛び回り、元気でい続けるおばあちゃんに、
若干の不思議さと圧倒的畏怖の念を持っている。

夕飯を作って待っているらしいから、
今日は拍子抜けするほどのくだらない会話を
たくさん重ねてこようと思う。

 

あとちょっと頑張ろう。

若かりし岩沢厚治に萌え続けながら。
(「シュミのハバ」のPVとかやばい)