エモと考察の狭間で。

エモと考察、バリキャリとゆるキャリ、厭世観と幸福論、事なかれ主義と突発的行動主義。ゆらぎのなかを揺蕩う、某ベンチャーマーケターの手記。

【映画感想】「勝手にふるえてろ」を観て ~確かに松岡茉優は最高だ!だが、それだけではない!(ネタバレあり)

こんにちは。くろえです。


ところで新年早々、Twitterで「松岡茉優ちゃんがやばい」なるつぶやきを見まして・・・

綿矢りさ黄金世代ドンピシャのわたくし、参戦してまいりました! 

勝手にふるえてろ」@シネマカリテ!

www.youtube.com

 

評価

総合:★★★★☆ 4.5点/5.0点(2018年1位)
共感:★★★★★★★★★★ 10.0点/5.0点(!)
圧倒:★★☆☆☆ 2.0点/5.0点
ほっこり:★★★☆☆ 3.0点/5.0点

 

おすすめシチュエーション

  • 恋愛話できる友人と
  • これから恋愛したい異性と
  • 最近付き合い始めた恋人と
  • 最近マンネリ気味の恋人と

 

というわけで、以下、感想と考察を記載します。

 

映画概要

f:id:cloalien:20180109062553j:plain f:id:cloalien:20180109062605j:plain

 

綿矢りさの小説を原作としたラブコメ

雰囲気はポップでシュールでナチュラルで、
ミュージカル調なシーンあり、ほっこりするシーンあり。
こじらせててシリアスなネタも、随所に笑いを織り込んでいて飽きさせない。

ラストのシーンのこじらせ異常っぷりと、それを包み込む二の愛が、
もう本当に、やばいとしか言いようが無い!(語彙力が極端に不足していて悲しい)

(私は最後泣いた。)

 

登場人物 ~とにかくヨシカちゃんが最高!

下馬評通りといえばそうだけど、とにかく松岡茉優ちゃんが・・・やばい。
彼女だから成立した映画、と言っても過言ではない。

アンモナイトタモリ倶楽部が好き。過去に生き、現実から逃げている」
という主人公のキャラクターを、これでもかというほどに上手に表現している。

可愛すぎて息が苦しい。声も、仕草も、狂おしく可愛い。
こういうのを「演技がうまい」というんだろうな。

(細かいところで言うと、ふぁっくふぁっくふぁっく・・・!が可愛すぎて、
抱きしめたすぎる。)

 

そして、渡辺大知が全然好みじゃないけど、じわじわくる。
最初から最後まで、ずっとダサくて、空回りしてて、怪しくて、ちょっと変で、
でも器が大きくて、何よりヨシカのことが大好き。

(彼の気持ちはあまり理解できないけど、こういう人類が
世の中にいたらいいなあ・・・と密かに妄想したのも事実。)

イチもイチで絶妙に拗らせていて、これはこれでいけすかなくてよろしい。

 

ここからは中身の話。

 

不器用で拗らせているけどまっすぐな主人公の愛らしさ

自分への期待値が高いし、
周りへの期待値も高い。
人は好きだ。他者と交わりたい。
でも、人から傷つけられるのは怖いので、
自分で自分を判断し、値踏みして、
外の世界に出ていこうとしない。
一方で、自分語りや持論の展開は超得意。

 特に妄想癖を発揮しまくっているシーンからは、
「いやいやwwwそこまで不器用か!?」
と思ってしまう程度には、不器用だけど、

人は初めてのことに対してここまでピュアで繊細で猪突猛進で、
他人との交わり、主体者として世界に降り立ったときに
こんなに醜くも美しくなるんだ、と思い、
ただただ心が震えた。。。

 

過去の自分との類似性

それと同時に、まさに自分だ・・・と感じた。

自己肯定感が低いのに自尊心は高いところが、
学生時代~社会人初期の自分に重なることこの上なし。

高校時代、上様(世界史教師♀)が好きだったのは
もはや「そういうキャラ」だったのと同じように、
天然王子は「自分が恋している」ことのアイコンであったのだろうなと。

他人を自分のアイデンティティの一部としていわば「利用する」やりくちは、
すごく理解できるし、人が生きていくために必要な要素だなと思いつつ、
ただただ心が痛かった。
(視野見、できるようになるよね・・・わかる・・・)

「人の振り見て我が振り直せ」という言葉を強く感じた。

 

「イチを選ぶか、二を選ぶか」という問い

「追う恋愛、追われる恋愛なら、どちらが幸せ?」
という問いは、いわば誰もが対峙する問題であるように思う。
また、過去に似た経験をしたことがある人は少なくないだろう。

こんなことで(と言ったら失礼だが)、人の心はズキズキと痛むし、
それだけ人間関係というのはシンプルだけど難しい。

現実と、生身の人間と、否定されるかもしれない恐怖と
自由奔放に振る舞いたい欲求の間で揺れ動きながら、
それでも人と交わることは、
きっとほんとうに大変なことだから。

 

「名前のないわたし」について

そんな拗らせ系のヨシカに転機が訪れる出来事、それは、
片思いのイチと意気投合してまさに天にも登らんとしている時に発覚した、
「イチがわたしの名前を覚えていない」という事実。

ここに彼女の「イチ」への期待値と、
世界と交わらないでい続けたことの罰、のようなものが
一気に表出している。

そして、彼女の構築していた空想世界が瓦解していく。ああ・・・

(このシーンで、この映画のテーマは「自己との対話」であり、
その中に空想と現実世界を入り組ませるという構図だったことに気付く。)

 

私はいま「名前のない自分」であることに、
さほど抵抗はない程度には他人への期待値が落ちていると感じるけど、
そのことにショックを受ける彼女を見て、
「だから人は世界と交わりたいと思うんだなあ・・・」
としみじみ思った。

 

今後の自分への期待

私は今年の目標を「傍観者から実践者」への移行である、というのは
以前のブログにも記載した通り。

で、上記にも記した通りだが、この映画は、
「現実逃避に近い恋愛(というか妄想)の世界ではなく、
いかに自分の世界(人生)を主体的に生きるべきか」
というテーマだったのだと思う。

 

名前をちゃんと呼び、人と話し、誰かを好きになりたくなる。
不器用でも、世界と交わろうとする。

(もちろん、最後まで不器用なので、それは「交流」ではなく、
自己との対話であるのでは!?という違和感は残り続けるわけだけど・・・)

 これは私の今年の目標でもある「傍観者から実践者へ」というものにもぴったりで、
先人を見た後輩のような気持ちになった。

 

自分の殻にこもり、他人を信じず、自分への期待値が異常に高く、
世界との交わりを避けてきた主人公の姿は、自分のこれまでの姿と重なり、
そして最終的な帰結は、私の思い描く未来でもあるわけで、

私もこの世界でいきたいって思ったし、そうできるような選択を(キャリア・恋愛・人間関係、生きるすべてにおいて)しよう、
と前向な気持ちになれた作品だった。

 

というわけで、この映画、おすすめです!
(特に女子校・男子校とかで拗らせてしまった経験のある人は感じる所も多い作品です)

furuetero-movie.com

  

おまけ ~恋って何?

「恋」が分からない。

仕事柄か、性質ゆえか、
常に(間柄のラベリングは問わず)異性と何らかの関係は持っている方だし、
仲の良い間柄であれば、
「愛おしいなあ」「大事にしたいなあ」「交わり続けたいなあ」
と思うことはしばしば発生するといえば、する。

ただ、友人からは
「(異性間交流を)目的的で殺伐としたものと捉えすぎなのでは?」
「そうやってなんでも意味づけしたり言葉にしようとすると、
それは向き合いきれないし表しきれないし、結局辛いのでは?」
みたいなことも言われた。

それは、「大いなる安心感」を得たことがないからかもしれないし、
「誰かの期待に応え続けたい(そうしないと不安)」という
ある種の長女精神ゆえなのかもしれない。

でもだからこそ、この映画の「二」のような
「すごく辛くて面倒くさくて、よくわからないけど、好き!どこまででも走っていけちゃう!」
みたいなまっすぐな気持ちに憧れる。
だからこの映画が好きだったのかも。

岡崎京子でも読み直すか・・・
(だからこの辺が拗らせの所以なんだよな)

 

f:id:cloalien:20180109064759j:plain映画館にアンモナイトいた。@シネマカリテ

 

---

さて!今日から仕事始めです。
(12/27に仕事を納めて、約2週間ぶりの出社!)

2018年も頑張っていきましょう~!