エモと考察の狭間で。

エモと考察、バリキャリとゆるキャリ、厭世観と幸福論、事なかれ主義と突発的行動主義。ゆらぎのなかを揺蕩う、某ベンチャーマーケターの手記。

【恋愛小噺その2】「一緒にいたい」ってなんだろう? ~あるコンサルタントのひとりごと

こんにちは。

書いたつもりになるのがブログ。
仕事の隙間時間にやるのがブログ。
くろえです。

 

(そういう意味で言うと、6月の案件は
息抜きをしている隙がないくらい定型業務が多かった)

(今日はこれから調査でそれどころじゃないんだけど、
調査一本とんだということは、余裕があるのではないか、と
高をくくっている側面は否めない)

 

さて、前回に引き続き、恋愛小噺。

 

関連画像

 

今日のトピックはこれです、
「好きになる人と一緒にいたい人は同じなのか」

上記テーマについて考えていきたいと思います。

 

一緒に生きたいとは、お互いが良い影響を及ぼし合って前向きにあれる関係性であること

 

前回記事の神上司は言わずもがな既婚子持ちなので、
一旦横においておいたとして笑、

誰かのことを「好きである」ということと、
自分という存在が他者と関わり合う、という段になると、
それはまた別の話になるのではなかろうか。

 

例えば、これまた別にすごい好きだなあと思う人は存在するが、
自分が関わると壊れてしまいそうな人もいて、
そういう人とは交われない、引き受けられない、
ということになる、というのが典型例。

 

交わりという観点で言うと、
以下のようなステップで考えることになるかと思う。

 

前提その1:まずお互いの存在を認めあえること


つまりそれは好きだと思える端緒があり、その存在を認められること。
そして、それが片務的なものではなく、それぞれの心のなかにあるということ。
(前記事参照)

 

前提その2:コミュニケーションが発生すること

 

関わりたいという感情が双方にあること。
関心を持つだけではなく、そのことを相手に伝える関係性が前提。

 

①コミュニケーション様式が不快でないこと

 

上記の前提を満たしたとしても、
(それだって十分難しいんだけどさ)
ここから先が結構難しい。

 

距離感

すべての人間にはパーソナルスペースがあり、これは絶妙な差異がある。
距離感を著しく違う人同士が交わるのは、塵も積もればストレスだ。

なんかこの人近い!みたいな人と相容れるのは難しい。
かといって、極度に女慣れしていない人はどうだろうか。
物理的な距離が遠いのは、本当に打ち解ける気があるのだろうか、
と思わせるような側面もある。

上記からもわかるように、特に物理的な距離(パーソナルスペース)
については、相性しかない。

 

コミュニケーション量とその手段

コミュニケーション量やその方法についても同じで、
言葉によるコミュニケーションをどの程度好むのか、
それ以外の方法をどのくらい信用しているか、
コミュニケーション総量に対する価値観、などは本当に個体差がある。

(例えば私の場合、
好きな人とのコミュニケーションは多ければ多いほどよいし、
ポジ/ネガ問わず、考えていることの端緒に触れたいと思う。
言語によるコミュニケーションを好む一方で、それ以外の方法で
「察する」「感じる」という要素による瞬間もある。
こうやってみると理想ばかりの夢見少女感しかない)

 

コミュニケーションと礼節

また、礼節に関する価値観なども人それぞれ。


挨拶に重きを置かない人もいれば、

cakes.mu


初対面における礼節を重要視する人もいる。

www.bgfs.com


ここがまずフィットしないと、うまくいかない。

 

例えば、初対面から距離を詰めてくる人がいる。
(合コン、などではそういうことが起こりやすいのだろうか?)
初対面の人間を馬鹿にしているような言動は到底首肯されるべきではない・・・
と私は考える。これも価値観のうちのひとつで、繰り返すが、それは良し悪しではない。

 

UCDという思想

そして、これも一種の能力だが、UCDな会話ができるかも肝要だ。
※UCD=User Centered Design、相手中心に設計するという思想のこと

(もちろんトピックによってそうなりやすい/なりにくいはあるが)
相手の話を聞かずに自分のしたい話だけをする人と、
相手の話を汲み取ってコミュニケーションパスをしたい人は、
交わるとあまりいいことはない。

 

以上、見ていくとわかるように、
個人が持っているコミュニケーションの特性に対して、
フィットするのかどうか、というのは何にも勝る重要な要素である。

 

②そのコミュニケーションが前向きであること

 

上記ではコミュニケーション様式の整合性について話したが、
それだけではなく、コミュニケーションに臨むスタンスは、
(フェーズ感の差でもあるかもしれないが)前向きであれるのが良いと思う。

相手を許し、認め、物事を前に前進させようと思えること。
それがあることで初めて、コミュニケーションが心地よいだけでなく、
ある方向性を目指した合理性の高い関係性になるだろう。

 

前向きなコミュニケーションって、意外と難しい。
友達にでも、ぐちは言えるが、夢を語るのはより難しい。

(しかし、こと付き合う、一緒にいるという段になると、
基本スタンスが前向きでないと、
メンヘラ共依存からの突然崩壊シナリオか、
玉川上水でともに心中シナリオのどちらかになる)

 

③最後に大事なのは「祈り」

 

ここまで、特にコミュニケーションに関して書いてきたが、
結局最後に大事なのは「ここにいる相手は所詮他人である」
という前提の中で、いかに相手の幸せを祈れるか、
ということになる。(前提部分に戻ってきている感もあるが・・・)

それは他人への期待値などを超えた、ある種の「祈り」のような境地で、
そこに到れる、と思える関係性であるのであれば、
その関係性は一生涯続くものとなるのだろうと思う。

 

最後に

こと異性同士の関係とは、相補的なものなのであると思う。

男によって女は輝き、女によって男は戦える。
これを共依存と捉えるのではなく、いい循環と捉えたい。

そう言い合える人と一緒にいられる人生を目指し、
精進していこうと思う。

 

 

追記

因みにこれは良記事なので全人類的に読んだほうが良いと思います。

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