エモと考察の狭間で。

エモと考察、バリキャリとゆるキャリ、厭世観と幸福論、事なかれ主義と突発的行動主義。ゆらぎのなかを揺蕩う、某ベンチャーマーケターの手記。

【電通事件に寄せて】激務と言われる業界でできるだけ幸せに働く方法とは(追記あり)【その1】

こんにちは。お久しぶりです、くろえです。

 

人の生死を議論するのはとても難しいことで、
こと、私はあまりそういうことを言える立場ではないのだけど、

この話は弊社(およびコンサルティング業界など)では
議論不可避なのではと思ったので、あえて取り上げることにする。

 

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いわゆる「激務」と言われる代理店やコンサル畑で働く我々にとって、
今回の電通過労死事件は他人事とは到底思えないわけで。

事実、私自身も、私の1,2年目(暗黒の新人時代)は
無駄徹夜のち、1日50回くらい死にたいと思ってたし、
実際に飛び込もうと思ったこともあった気もするし、
Twitter(鍵垢です)に
「今日も帰れない」
「(終電で出社して)これ会社に行く時間じゃないな」
「帰社なのか出社なのかわからん」
「今日は何曜日なのか」
「朝帰り乙」
みたいな呪詛を吐いていたような記憶があったりする。
実際、(仕事だけではないと思うが)ストレスから過食症にもなったし、
耐えられなくなって、勤務中に駆け込むように心療内科にも行った。

 

・・・という事実を踏まえて、今回言いたいのは
「徹夜は誰でも新人なら通る道!」的な
パワプロ理論(一定真なりな気もするけど)でも、

パワハラやセクハラが横行する労働環境が悪い!」
と言いたいわけでもない。

 

私が言いたいのは以下の3つ。

  1. (前提として)労働時間が長くなるのは業界構造上仕方ないのでどうしようもない(少なくとも今の私にはどうしようもない)し、働き方に「正解」があるわけではない
    (また、業界的に競争や劣等感といった感情は不可避なのかもしれないし、しょうがない面もある(物量が多い、とか、スキルがないうちは時間がかかる)ので一概に長時間労働を否定するのは筋が悪いとも思う)

  2. でも労働時間が長くなると無条件に病む(無自覚的に、というのも含め)
    (これは業界関係なく事実。労働効率も落ちるし、長時間労働は価値が低いし、長時間労働は確実に精神を蝕む)

  3. 信頼できる人と働く(もしくは味方を一人でもいいから持つ)ことが大事
    (責任の重さ、タスクの多さ、長時間労働などにより、病んでしまいそうになることはままある。そのときに信頼できる、狭窄視野に陥った状態から逃がしてくれる、中長期的に見守ってくれる他人=パワプロ理論以外のロジックをもつと信頼させてくれるような他者の存在が必要で、そういう人が社内にいるとよりよい)

 

上記3つに沿って話を展開していくこととする。

 

 

1.(前提として)労働時間が長くなるのは業界構造上仕方ないのでどうしようもない(少なくとも今の私にはどうしようもない)し、働き方に「正解」があるわけではない

弊社も含め、代理店やコンサルティング業界は
常にお客さん相手に仕事をしているお仕事。

何より大事なのは相手に満足してもらうこと、
お金を出すに値したと思われること、
だというのは大前提だと思う。

なので、(特に弊社やこの業界で言われている)
「価値にこだわる」「バリューを出す」という姿勢は
すごく大事、というか、絶対条件だと言える。

うちの会社の惚気をするつもりはないが、
職人気質のいい仕事をする大人がたくさんいるように思う。
そして、「いい仕事をしたい」と思っていて、
そこにこだわらせてくれる環境があること、
そういう人が働いている職場に要られることは、
恵まれているのかもしれない、とも思う。

(フォーカスポイントが間違っている気もしないでもないし、
無尽蔵に体力がある、要領で物量をさばいているなど、
自分には真似出来ないなと思うことはあるけど)


ただそれは諸刃の剣?でもあって、否定的に言えば
「時間にこだわるんじゃなくて価値にこだわれよ」
という論理にも用意に転び得る(=パワプロ理論の横行)。

「時間は関係ない、バリューフォーカスだ」
「時間がかかるのは自己責任。お前の能力のなさゆえだ」
こういうロジックも容易に成立し得る(もしくはそう認識するのは容易)。

そして未だに、このロジック自体を否定できるようなものを
私は十分に持てていないとも思う。ごもっともすぎる。

社会に出る、とか、責任を全うする、なんて、
本当に生半可なことではないんだなということを感じる。

特にこだわりがない、抜け漏れありまくり、ADHD気質の私からすると
きちんと相手にコミットし、責任を持ってデリバリーする、というのは、
正直かなりきつい。あまちゃんとは言え、向いてないなとつくづく思う。
(外交力とかで乗り切る、という手法を今は取っているわけだが・・・)

繰り返しにはなるが、我々のような仕事、つまり
クライアントからの発注ありきの仕事では特に、
「価値」(しかもそれは必ずしも形で定義できない)
を出さないと存在意義がないと言われてもしょうがない
というのは厳然たる事実だ。

それを踏まえた上で大事なのは、
「(そもそもの価値を定義することや、
周りを巻き込む、助けてもらうということも含めて)
自分にできる範囲で相手に求められている価値を出す」
ということ。
これが、職業人として求められていると感じる。

そのなかでいかに生きるか。

相手に求められている価値を出すまでやるのは
(仕事としては)前提なのだが、
結局のところ、仕事をきちんと完遂することも、
精神的限界を察知して逃げるのも、

すべて自己責任なのだ、というのが、一職業人としての態度なのではないか。

因みに、今の私は、

・前からやろうとする、物量に圧倒される、結果何も出来ない、コミットしない、いざとなると逃げようとする、同僚と比較する、言い訳ばかりの新人時代

から、

・前からやっているときには誰か別の人に助言を得る、物量を減らす、人の力を借りまくる、期限ギリギリにやる気を出す、なんとかギリギリのクオリティのものを持っていき、あとはトークと事後修正でどうにかする、お客さんだけを見ていれば社内は一定どうでもいいという優先度付けに変更

という自己流スタイルに変化した。

(なお、このスタイルをすすめているわけでは決してない)

(しかし、自分の特性やモチベーションの端緒を理解し、
なんとか存在できるぎりぎりのところで踏みとどまっている、
という表現が正しいように思う)

 

2. 労働時間が長くなると無条件に病む

(こと仕事の中で)精神的に病むのには様々な原因があるとは思うが、
「連続して長時間労働する」ことは少なからず精神に悪影響を及ぼすのは自明だ。

(この辺は激務と呼ばれる業界に身をおいている人であれば
皆さん身に覚えがあるのではないでしょうか)

特に若いうちは、身体的疲労がクリティカルなものになる前に
心が疲れていくものだと思う。

「そもそも私はいったい何をしているんだろう」
「仕事に、会社に、社会に、殺されるかもしれない」
「今飛び込んでしまえば、会社に行かなくて済む」
「どうやって起き上がればいいのかわからない」

といった状態。実際、一定以上働くとこういう感じになる。

もちろん、人によるのかもしれないし、無自覚な場合もあるわけだが・・・
(そしてまたそれが武勇伝化するっていうのもあるあるですね)

長時間労働は、必要ではあるとは言え、(短期的にも、中長期的にも)
精神を(中長期的には身体もなんだけど)蝕んでいくのは厳然たる事実

(仕事だから、というわけではなく、何か一つのことに集中した状態で
何時間も続けることは、極度の疲労につながる、ということを言っています)

 

3. 信頼できる人と働く(もしくは味方を一人でもいいから持つ)ことが大事

上記のような業界構造、また人間のカラダの構造からして、
やみやすい環境に置かれているのは言うまでもない。

責任の重さ、タスクの多さ、長時間労働などにより、
病んでしまいそうになることはままあるといえるだろう。

 

では、どうすれば死なずに幸せに働けるのか。


ここで私が言いたいのは、
「信頼できる人が見守ってくれているか否か」が鍵を握るのではないか
ということだ。

心が病んでしまっているとき、自分の目線は
「責任を果たせないかもしれない自分への失望」や、
「能力の低い自分への自己嫌悪」に向いていることが多い。

こんな状態になっていたら、正常な判断はできない。
一旦休んで(もしくは気持ちを切り替えて)リセットし、
自分をもう一度客観的に見られる機会や時間が必要だろう。
しかし、そのことにすら、自分だけでは気づくのは難しい。

そんなときには、結局のところ、周りの人に助けてもらうしかない。

社内、社外は問わないが(様子が見えるという意味では社内のほうが望ましい)
・中長期的に見守って変化を察知してくれる
・狭窄視野に陥った状態から逃がしてくれる
・評価以外の観点で関わっている
人が必要なのではないか。

仕事、仕事のなかでは、容易にパワプロ理論がまかり通る。
価値を出せないやつは存在意義がないと罵倒されることは
ある種理にかなっているとも言える。
(マネジメント観点では間違っていることが多いわけだが)

そんななかで、それ以外の観点があるんだよ、ということを
言ってくれる、かつ信頼できる他者の存在が必要だとつくづく感じる。

・・・結局のところ、自分を見てくれている味方がいる
というところが肝なのではないかと思う。

(そしてそれは価値を出す、アウトプットへの信頼ではなく、
人としての信頼であり、それらは圧倒的に異なる)

会社での仕事というのは、
1人でやるものなのではなく、仲間がいてやるものだ、ということである。

 

逆説的、というか、意外な感じもするが、
こと弊業界のような成果主義の業界ではなおのこと。

(特に責任感の強い人、自己確信のある人、特定の価値判断軸で勝負している人は、
自分の弱さを認識するセンサーが鈍いとも言える。)

 

「今あなたは精神的に追い込まれているんだよ」
「つらいのは事実、つらがっているという事実から目を背けちゃ駄目」
「自分に限界が来ているなら、逃げても大丈夫。
それを社会(とまではいかなくても、少なくとも誰か)は受け入れてくれる」
ということを言ってくれる人がいるかどうか。

「時間(≒経験)でしか解決できないよ」
「死ぬまで働け、死なないから」
「俺はもっと苦労した」
「俺も産業医につれてかれたわ(笑)」
「お前の同期はもっと苦労して働いている」
「お前はなぜ倒れてしまうのか」

と言い切る人しか周りにいなかったら、
私もまた、死ぬしかなかったと思っているわけで(なお上記発言はすべて実話)。

 

※ただ、言っておきたいのは、上記の発言や
今回の問題で言うところのパワハラモラハラ、人格否定は
やっている側に必ずしも悪意があるわけではなく、
会社の作り出している文化の問題だと思う。

だからこそ入る会社は選ばないといけないし、
入社前の段階で「信頼できる社員」を一人でも
見つけておくことは、すごく大事だとも思う。

それが出来なそうだったので大企業に行かなかったのは
かつての自分の選択を褒めたいとも思っている笑。

 

・・・と、ここまで連々と述べてきたが、
自分も別に一人前に価値を出せているわけではないので、
あまちゃんの戯言でしかないとは思う。

ただ、そんなあまちゃんでも、抹殺されることなく幸せに働くには、
自分の身の程をわきまえた上で、
常に冷静に自分にできることを考え、
不幸や過酷さに耽溺するのではなく、
出来ることを淡々とやることのみである、
ということなのではないだろうか。

 

(とはいえ、会社という観点で言うと、
社会に出たばかりのあまちゃんに対して、
社会に出る難しさやお金をいただく難しさは
それでも学んでもらわないと困ることでもあり、
そのギャップは人を容易に混乱させると思うので、
マネジメントって本当に難しいよな・・・)

 

ここで、私の転機について、自己満足的に話を。

 

深夜のMTGからの朝帰りを繰り返した後、一度倒れた。
そして、褒められるでもなく、ささくれ、病み、周りに迷惑をかけ、
部署の偉い人からも苦言を呈されるような状況に。

自分はこのままだとやばい、ということを実感。

しかし、私はもうどうすればいいのかわからなかった。
自分を攻撃することで現実から目を背けることしかできなかった。

「焦ってもしょうがないこと」
「同期と争ってもしょうがないこと」
(勝ち目がないばかりかその目線に立つと幸せにはなれない)
「もっと大事にすべきことがあること」
パワプロ勢からは言い訳乙って言われそうだけど)
を会社の先輩に諭され、しぶしぶ目の前のことに取り組んでみた。

地道ではあるが、少しずつ気づいたのは、

自分にできる範囲のことを宣言して遂行すれば、
他の人が意外と何らかの助けをしてくれること、

会社の人は敵ではなく味方かもしれないこと、

逃げなければ誰かが(結果的に)評価してくれる(かもしれない)こと、

そしてそれは意図することではなく、
ただ目の前のことに誠実になることによってしか得られないということ。

(遂行できているかというのはまた別の話ですが)

 

この経験があったので、相対的に低スペックで
体力精神力ともに劣っていても、なんとか今も仕事を出来ているんだろうなと。

 

※なお、弊社は某国立大学(×2)出身者がほとんどを占めており、
自分の代は自分以外のすべてがそのどちらか出身。
学歴を言い訳にするつもりはないが、処理能力などは歴然の差。

 

以上が自分の経験から言えること。

 

ただそれは会社自体への信頼とは全く関係なく個別具体的な話だし、
全員が全員そういう人を得るべき/得られるというのとは違うので、
あくまで方向性として推奨しているという感じで捉えてもらえれば。

(個人的には、信頼できる社員がいない会社なら、もはや
働く理由もないので辞めちゃえばいいのではと思うわけだが、
仕事にはいろいろな目的が包含されているような気もするので
あくまで一意見として捉えてもらいたいです)

 

結論:労働時間とかの定量的な問題や、それを下支えしている業界構造などにも問題はあるけど、結局のところ、信頼できる人と働く(もしくは味方を一人でもいいから持つ)ことが一番大事

 

ここまでかなり冗長すぎるけど、
会社自体・社会全体が改善するのは難しくて
(特にこういうお金のもらい方をしていると)、
日本全体の課題としては残り続けると思う。

でも、ミクロで考えるのであれば(自衛手段として)、
自分の周りに1人でも信頼できる先輩、上司、同僚を見つけて味方にすることが、
死なないでいながらにして価値を出して働くための
数少ない手段なのではないか。

 

そして、少し視野を大きくして、チーム、という観点で見てみると、
「親和性の問題だから違和感あればやめれば」
って思うことも無きにしもあらずだけど、
そういう短絡的な考え方ではなく、
一緒にやって価値を出すという意思さえあれば
その人なりの働き方を一緒に考えることは出来るよなとも思っている。

 

「その仕事にどんな意味があるのか」
「何が相手にとっての価値なのか」
「具体的にどのように進めればいいのか」
を放置せず、ずっと見守ってくれる、助言をくれる人がいる。

それが、長くきつい労働でも乗り越えられる
唯一の解決策であるように思う。

 

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なんにせよ、こういう働き方はいいようにも悪いようにも捉えうると思うので、
自分の無理のない範囲で柔軟に思考できるといいなと。


だって、自分が幸せになるために働いているもん。少なくとも、私は。


生きているうちの大半を占める職場において、
肩肘張らない場や関係性は少しぐらいあってもいいし、

お互いのパーソナリティや価値観や能力を理解した上で
みんなで目標に向かっていけるような会社で働けると
いいなあ、と(馴れ合いではなく)。

本来労働は楽しいもので、人を死なせてしまうようなものではない。
「生きることが一番の労働である」とも言えるかもしれない。

傍を楽にするとはどういうことなのか、もっと考えたいなと思いつつ、
いったん、筆を置くこととする。