エモと考察の狭間で。

エモと考察、バリキャリとゆるキャリ、厭世観と幸福論、事なかれ主義と突発的行動主義。ゆらぎのなかを揺蕩う、某ベンチャーマーケターの手記。

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い」を俺好みにしてみた

こんにちは。
最近の諸々の鬱憤を晴らすべく、
文字で遊んでみようと思い馳せ参じました。くろえです。

※仕事はつらいけど、たくさん幸せです。

 

さて、ここから本題に。

 

 「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い」

 

かつて部活の顧問に言われた冒頭の言葉。
繰り返し言われたこの言葉の真意は何だったんだろう。

 

※どうやら、「レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説の私立探偵、フィリップ・マーロウのせりふ」らしい。
これを引用し、日本では高倉健主演の映画「野性の証明」(1978年、森村誠一原作)の宣伝文句(「男は強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」)に使われたんだとか。

なんにせよ、深く心に残っている。言葉の印象の強さ故か。

いずれこの顧問の話については書くとして、
その言葉のなんとなく意味するところを解釈したり、
それを勘違いして使っている人をにがにがしくおもいながら、
ここまで生きてきたような気がしています。

 

で、そろそろ、私もこれに対するしっくりくる言葉を
探してみようと思い立ったので、してみんとす。

 

■「強くなければ生きていけない」

 

まず、「生きていけない」、とはどういうことか。
強い、生きる、などの話から想起されるのは、
リアルな生存の話なのだと思う。

私がここまで生きてきた中で、
この世の中は少なからず残酷だ、とは思うけど、
強くなければ生きていけないほどは、世の中は厳しくない。
貧しければ貧しいなりに、厳しければ文句を言いながら、
なんとか生きていくことは出来る。

 

では次に、「強くなければ」のところだ。
そもそも強いとは何か。
精神的な強さなのか、技術的な強さなのか。

ここで言われている(少なくとも語られていたのは)
技巧、実力としての「強さ」だったと思う。
イメージとしては、百獣の王のような。
私はこれをどう捉えようか。
イメージ、ロジャー・フェデラーなんだよなあ。これ。
力だけが秀でているというよりは、総合的に強いみたいな。
「心身ともに」ということになるのかな。

 

・・・とすると私は、
「心身ともに強くなければ、生きるのは大変だ(つらい)。」
というのがしっくりくるかなと。

 

■「優しくなければ生きる資格が無い」

 

ではこちらだ。

「優しさ」とはなんだろうか。
これはすなわち「人としての器の大きさ」かなと思う。
人の痛みを、限界をわきまえながらも想像し、
他人に敬意を払いながら、その人に憑依する。
だれにでも入り込めるわけではないという己の限界を知りつつも、
その範囲においては、相手の立場に心を寄せられるような。

 

「生きる資格が無い」という言葉、これが一番しっくりこない。
そもそも生きることは資格を与えられることではなく、
もうこの世に生を受けてしまった時点で生き抜くことを運命づけられている
ように思う(長さや背負う制約は違えど)。
なので、資格は生きている時点であるし、
仮に人が優しくしなかろうと、世間は何も彼を咎められないし、
まして彼の生きることを咎めることはないだろう。

・・・とすると、私は
「優しくなければ、世界は優しくない」
くらいの感じがしっくりくるかな、と思う。

優しさを持っている人だけが享受できる世界や感覚がある。
それは、一般的には「よりよい」とされているが、
そこを志向するかは本人の自由なので。

 

■結論

 

というわけで、

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い」

は、私的解釈でいうと

「心身ともに強くなければ、生きるのがつらい。でも、優しくなれば、世界は心地よいものになるのもまた事実。」
とかになるかな。

 

■感想

体育会な名言が、私好みのふんわり感に置き換わってしまった。


周りの評価とか資格とか格付けとかではなく、
自分の心地よさを追求したいよな、と。
というか、それくらいしか生きる際に追求すべきことなんて
存在しないようにも思うしね。

 

以上、現実世界での鬱憤を憂さ晴らししている私でした。
もう金曜日だ、仕事しよう・・・

 

■おまけ

「強くなければ生きづらい。優しくなければ生を肯定できない」
「強くなければ戦いに負ける、でも、優しければ戦わず済む」
とかいうのもちょっと悩みました。何かアイディアあれば教えて下さい。