私はブルーワーカーになりたい
意味付けは意味付けでしかないと言いながら、
結局意味付けをし続けてしまうので。
これ、問題は意味付けをすることに意味がないことじゃなくて、
(実際、私は意味付けでも意味があるならいいじゃんって思う)
意味付けに終始して何もしていないことなんだろうな。
(行動をするべき時間/リソースを阻害して意味付けをしている)
だから、本当は、
意味付けをする隙がないくらい目の前にやるべきことが有って、
はあ、疲れた、と思った時にそれを意味付けして、
(これはもはや欲求なので、意図せずともやってしまう)
ああ、よかったな、と思える方がいいんだろうな。
つまり、意味付け/価値定義を本業にする仕事は
本当は向いていなくて、
意味付けを合間にしてほっこりする、くらいがいいんじゃないかな。
(意味付けという行為自体に罪悪感を覚えるのは
なんだかよくわかんなくなってきた・・・)
・・・という気づき。
意味付けする暇ないくらい作業に没頭できるといいんだろうな。
意味づけしないと価値が立ち現われない仕事は、
常に存在の価値について問い続けなきゃいけないので、
胃が一生痛い気がするんだ・・・
というわけで、冒頭の結論に至ったわけでした。
(仮説ですが)
※断定形は炎上の匂いがして怖いね!
おまけ
今でも断じて高給取りというわけではないが、
いちみりくらいしか、お金を稼いでいると自負できる
価値を創出しているような気はしないので、
ここでのアンケートに答えている人は
どれだけ自分に自信があるんだろうと羨ましくなった・・・。
自分に経済的価値を創出することは可能なのかというのは
一生の問いになるんじゃないかと思う今日このごろ。
以上、くろえでした。あでぃおす。
明日もミーティング。
(案件には恵まれてるけど、やはり仕事は憂鬱だ)