エモと考察の狭間で。

エモと考察、バリキャリとゆるキャリ、厭世観と幸福論、事なかれ主義と突発的行動主義。ゆらぎのなかを揺蕩う、某ベンチャーマーケターの手記。

ずっと一緒にいたい、という感情/事象は起こりえるのか、というおはなし。

ずっと一緒にいたい人、ってなんだろう、と考えると。
(そもそもそんな問いを立てることを、
ここ最近は避けて生きてきたかもしれない。)

 

一緒にいるときその瞬間を楽しめる
ということはとても大事なこと。

 

でも、それだけではなく、
(どんなに苦しい状況下にあっても)
共に生きる明日のことを考えるのは、
もしかしたら、そんなに苦にはならなくて、
連続している人生の時間を肯定できる予感がする。

そう考えられている場合においては、
「本当にずっと一緒にいたい」という感情が起こるのではないか、
と思ったりする。

 

私はつい、その瞬間一番琴線に触れること、面白そうなことを
のべつまくなしやってみる、とか、
自己の連続性を無視した意思決定を
ついしてしまったりしてきたのだけど、
(責任感の欠如なのかもしれないね)


今日は今日だけで終わると思って生きるのよりは、
明日を夢見ることをわくわくできるほうが、
もしかしたら好きかもしれない。

というか、そういう生き方をできるなら、
もしかしたら幸せかもしれない。

 

そう考えると、幸せって、
瞬間的なものじゃなくて、
刹那的なものでもなくて、
恒久的にもなりえるのか?
(そんなの結果論だと思うけど)

 

・・・そんなことを考える夜21時。
もう疲れてるんだな・・・帰ろう。