コスプレでコンサルやってますけど

立派なコンサル・・・のはずなのに社内ではポエマーと揶揄される、社会人4年目くろえの脳内あれこれを残していきます

「地を這うことを選べる道」を生きることの重要性とその魅力に、私は驚きを隠せなかった、というおはなし。

さっきの「職能と職業選択」の話について。
もう少し思ったことが有ったので、追加しようと思います。

 

「職能のあるなし」によって、何が規定されうるんだろう?
と考えたとき、それは、

・地を這って何かを得る気があるか
・何かを言われて反論する気になるのか

ということに収斂するのではないかと思いました。
(要はこだわり、なのかな)

 

 

【例1】

私には、人生を通じて憧れる上司がいます。
その人とさっき(私の土壌である)授業実践について話したんですね。

曲がりなりにも(塾での集団授業や教育実習で)
人生をかけて実践を積んできたものとして思うことはあり、
自分の経験や痛みを想起して、
それなりに用意をして臨んだつもりでした。

(もちろん時間不足、準備不足は否めなかったものの、
自分なりの感想やスタンスは示したつもりです)

それを一通りやったとき
「まあ・・・教育の畑にいた人はそういう思考になりがちだよね」
という扱いを受けたと感じたとき、
(なまじ中身に思い入れがあるので、)
まず初めに悲しい気持ちになりました。

自分が曲がりなりにも頑張ってきた領域であれば、
この人とは十分に議論できる状態ではないのか
という希望が打ち砕かれたからかな。
私の存在価値はここにすらないのか、と絶望すらしました。
(もちろん、視座の違いかもしれないけど、
せめて対等に議論が出来るのでは、と
自分に期待を持っていたんでしょうね)

でも。その後、なんとなく、
反論したくてしょうがない気持ちになりました。
こだわっている自分の領域での自分の思いを
「現場由来の視座の低いもの」と括られたこと
そのものへの怒りなんだなと気づきました。

普段の仕事の領域では
「みんな枠にとらわれている状態だよね★」
と冷静に揶揄していられたけど、です。
(「こんな気持ちになるんだ」と自分自身に驚きました)

もちろん、思考にこだわればこだわるほど、
思考は凝り固まっていくのは知っているけど、
それでもなお、違うんだ、と抵抗したい、
という欲求が自分の中にあることに、
割と大きな驚きをもちました。

 

【例2】

最近、仕事における目標設定をしています。
「やらなきゃいけないこと」を洗い出し、
目標として何を掲げるかを考え、
KPIやKGI(達成要件や効果測定)を設定し、
自分にとって好ましい状態を想像します。

それを考える中で、
どうしても「嫌悪感」「徒労感」ばかりが
見えてしまう自分がいます。

・やらなきゃいけないことは知ってる
・これが出来ないとあらゆることが出来ないのと同義なのも知ってる

それでも、です。

 

何が嫌なのかすらよくわからないけど、
それが上手にできる人に対して羨ましさを覚えると同時に、
「私は彼らとは違うから没入しないところで止めておこう」
と思っているんだな、と。

 

で、今、そのことに対する違和感があります。

【例1】のことは、自分が没入した経緯があるからこそ(なのかな?)、
(もちろん思考が凝り固まっている可能性はあるが、)
思い入れを持って主張したいと思うし、
真摯に学びたいと思うし、
無条件にもっとよい状態になりたいなと願っています。
(将来教師になる以上、当たり前のことだとも思うし。)

【例2】のことについては、私の価値観として
「地を這わなきゃいけないことは美しくないこと」
「枠にとらわれるのは醜いこと」
というのがあり、
「そこそこにしておきたいな」
「はまりすぎないようにしたいな」
「最低限できる形ってどんな感じ?」
という度合いのことを考えているんだな、と思いました。

(もちろん、このスキルに一定価値を感じているから、
この場にとどまり続けているのだけど。。)

私は自分で「美醜の概念が大事である」と思っていたし、
それはそれであながち間違いじゃないんだなと思っています。
でもそれは
事象そのものに対する思いがない場合
(つまり自分にしか思いが持てない場合)」であり、
事象に対して思い入れがある場合には、
そうではない反応になるんだな、という。

 

どう生きていくか、という問いにも
つながっていく話なのかもしれないけど、
どういう生き方を選ぶにせよ、
「怒るぞ!」って思うくらい
思い入れを持てるようなものについて、
仕事ができること、それこそが「職能」なのでは?
と思いました。

 

自分にとって異質できれいじゃないと思っているものが、
心の底からは美しく見えるわけなんてなくて、
それなのに美醜の概念に沿って考えようとしている時点で、
自分が目指しているところはいつまでも達成できない、
ということに気づき、絶望した・・・
というのがここ何時間かの気づき、というわけです。

(これは枠組み論とか認識論とかを超越して、
身体感覚レベルで、というのかな、
本当にびっくりしたことだったので、
腱鞘炎になりかけの腕を酷使してみました笑。)

 

あたしは
・ちゃんと枠組みを認識していたい
という気持ちと同時に、
・関わる人の気持ちや痛みや悲しみを
(汚いものや首肯できないもの、くだらないものも含め)
理解できないなりに理解しようと努力して、
伝わるか分からなくても愛を伝えて、
そういうのをきゅっと抱きしめられる人になりたい
って思っているし、
そういう意味では、
・どこまでも人と泥臭く生きていきたい
と願っています。

つまり、働き方、ひいては生き方を再考しよう、
というおはなし、かな、と。

 

長くなりました。備忘録程度のものですが、大事な衝撃だったので。