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コスプレでコンサルやってますけど

立派なコンサル・・・のはずなのに社内ではポエマーと揶揄される、社会人4年目くろえの脳内あれこれを残していきます

年上女性(60代以上)の美しさについての一考察

やっほう休日出勤上等!くろえです(代休はNO)。

 

ここ最近、
プロジェクト関係で50代から70代くらいの女性と
たくさんお話しております。

(90分たっぷり体調のはなししてる!)

今日もおばあちゃんとたくさんお話してきたので、
小噺というか、思ったことを。

 

●女性の美しい年のとり方についての一考察

 

最近「マウンティング女子の実態」とか
「東京カレンダー」とか読んでいて思うけど、
やはり一言で言うとパワプロ系女子は見たくないなと。

自己意識を拗らせて、でも自分によるべき指標がないと
他人と比較することしかなくなって、ますます醜くなる。

 

最近いわゆる高齢者の方の調査をしていると、

しなやかに、自己主張を激しくすることなく、
自分の体の声に耳を傾けて、静かに、穏やかに、
でも自分の大事にしたいものを大事にしている、
そういう女性が多いような気がしています。

社会では「うるさいおばちゃん」や「聞き分けの悪いババア」
などが取り沙汰されることが一定多い気もするけど、
そうでない人のほうがきっと圧倒的多数で。

正直、50代くらいまでの人であれば、
周りより健康である、美しくある自分、という自意識を肥大化させて
そういうもので生きている人もたくさんいると思うのだけど。

もしかしたら、身体機能の衰えや、
抗えない自分よりも大きなものに対峙することで、
より友人同士で団結し、相互に想い合うようになるのかもなと。

丸くなっていく、と形容されるのかもしれないけど、
そういう問題ではないのかもしれない。

身近な人が死んでしまったり、
自分もどんどん衰えていく中で、
どうやって自嘲的にならず、自分を強くできるのか。

自分がどんな状況になったとしても、
自分の中に判断尺度を持って、
いざというときには周りの力を借りて、
弱いけど強い自分を信じて生きるしかないなと思いました。

 

---

 

そしてそうなったときに、
「自分が健康で有り続けること」は
ほんとうに大事なんだろうなと思いました。


自戒としては、こんなにみんな健康に気をつけるのであれば、
若いうちからきちんと準備しておかねばいけないんだろうなあ。

不摂生で自分の体を痛めつけている自覚はあるんだけど、
ちゃんと生きなくちゃって反省しております。。。
(もろもろのガタをドーピングで補強しているイメージ)

 

---

 

なんにせよ、自分の世代と違う人とお話していると、
たくさんの発見があって面白いです。

そしてそういう人に面白かったとか言ってもらえるのは、
この仕事冥利に尽きるなと(本筋ではないのだけど)。

 

(自分はそこに根を張っているような自覚はあるものの)
パワプロ的世界観は美しくないというのと、
あまり頑張れないパーソナリティなのと、
バリキャリの世界に疲れてしまったので、
近日中にこの仕事やめる前提でいろいろ動いてるんだけど、

やっぱり調査とそこからの発見点についてうにゃうにゃ考えるのは
楽しすぎて、なかなか辞めるって言い出しづらい・・・

 

はい、仕事します。ちゃお。
(今日休日なのに会社に人がそこそこいっぱいいてどうなんだろう)
(というブーメラン。)

 

もういないあなたへの手紙(今年の初めごろの文章です)

おはようじょ。くろえです。

11月になり、ますます寒さが身にしみる昨今ですね。いかが過ごしでしょうか。

さて、更新しようと思っていたブログの記事(過労死の続き)が吹っ飛んでいて執筆意欲を大幅に削がれたので、さっき見つけた、今年の初頭に書いたブログの下書き(鍵付きってことは非公開にしていたのかな?)を謎に晒します。

私にしては短く、すっきりまとめており、すごいな過去の私、とも思ったり。

まあこれ、半分くらい創作(フィクション)なんだけど、こういう気持ちだったんだろうね。今はすっかり懐かしく、そして微笑ましくも思います。

 

---

 

こんにちは。

今頃あなたはどこかで誰かと幸せに暮らしていると思います。

でも、その事実だけで十分です。

あなたと一緒だったらどこまででも行ける、そんな夢を持っていた時期もありました。
私とあなただけの世界でも、きっと何か新しい概念、事象、ふたりだけのもの、が生み出せると信じていました。

優しい言葉を、言葉のままに信じたいと思っていました。私のことばも、あなたのことばも。

届かない、叶わない、とわかっていたけど、やっぱりそうなんだ、と思った時には少しだけ傷ついたふりをしました。

そのときは、人生の春が終わってしまったような感じがしました。今だってそうかもしれません。

それでも生きて行かなきゃいけないらしい。

 

もっといい明日がある期待を捨てられない。生きているからには、捨ててはいけない。

だから、ちょっとだけ忘れて、すごく引きずって、でも、これからも生きていこうと思います。

 

とっても優しくて、とっても温かくて、とっても幸せな時間があったのは、真実だと思います。

さようなら、ありがとう。

【電通事件に寄せて】激務と言われる業界でできるだけ幸せに働く方法とは(追記あり)【その1】

こんにちは。お久しぶりです、くろえです。

 

人の生死を議論するのはとても難しいことで、
こと、私はあまりそういうことを言える立場ではないのだけど、

この話は弊社(およびコンサルティング業界など)では
議論不可避なのではと思ったので、あえて取り上げることにする。

 

---

 

いわゆる「激務」と言われる代理店やコンサル畑で働く我々にとって、
今回の電通過労死事件は他人事とは到底思えないわけで。

事実、私自身も、私の1,2年目(暗黒の新人時代)は
無駄徹夜のち、1日50回くらい死にたいと思ってたし、
実際に飛び込もうと思ったこともあった気もするし、
Twitter(鍵垢です)に
「今日も帰れない」
「(終電で出社して)これ会社に行く時間じゃないな」
「帰社なのか出社なのかわからん」
「今日は何曜日なのか」
「朝帰り乙」
みたいな呪詛を吐いていたような記憶があったりする。
実際、(仕事だけではないと思うが)ストレスから過食症にもなったし、
耐えられなくなって、勤務中に駆け込むように心療内科にも行った。

 

・・・という事実を踏まえて、今回言いたいのは
「徹夜は誰でも新人なら通る道!」的な
パワプロ理論(一定真なりな気もするけど)でも、

パワハラやセクハラが横行する労働環境が悪い!」
と言いたいわけでもない。

 

私が言いたいのは以下の3つ。

  1. (前提として)労働時間が長くなるのは業界構造上仕方ないのでどうしようもない(少なくとも今の私にはどうしようもない)し、働き方に「正解」があるわけではない
    (また、業界的に競争や劣等感といった感情は不可避なのかもしれないし、しょうがない面もある(物量が多い、とか、スキルがないうちは時間がかかる)ので一概に長時間労働を否定するのは筋が悪いとも思う)

  2. でも労働時間が長くなると無条件に病む(無自覚的に、というのも含め)
    (これは業界関係なく事実。労働効率も落ちるし、長時間労働は価値が低いし、長時間労働は確実に精神を蝕む)

  3. 信頼できる人と働く(もしくは味方を一人でもいいから持つ)ことが大事
    (責任の重さ、タスクの多さ、長時間労働などにより、病んでしまいそうになることはままある。そのときに信頼できる、狭窄視野に陥った状態から逃がしてくれる、中長期的に見守ってくれる他人=パワプロ理論以外のロジックをもつと信頼させてくれるような他者の存在が必要で、そういう人が社内にいるとよりよい)

 

上記3つに沿って話を展開していくこととする。

 

 

1.(前提として)労働時間が長くなるのは業界構造上仕方ないのでどうしようもない(少なくとも今の私にはどうしようもない)し、働き方に「正解」があるわけではない

弊社も含め、代理店やコンサルティング業界は
常にお客さん相手に仕事をしているお仕事。

何より大事なのは相手に満足してもらうこと、
お金を出すに値したと思われること、
だというのは大前提だと思う。

なので、(特に弊社やこの業界で言われている)
「価値にこだわる」「バリューを出す」という姿勢は
すごく大事、というか、絶対条件だと言える。

うちの会社の惚気をするつもりはないが、
職人気質のいい仕事をする大人がたくさんいるように思う。
そして、「いい仕事をしたい」と思っていて、
そこにこだわらせてくれる環境があること、
そういう人が働いている職場に要られることは、
恵まれているのかもしれない、とも思う。

(フォーカスポイントが間違っている気もしないでもないし、
無尽蔵に体力がある、要領で物量をさばいているなど、
自分には真似出来ないなと思うことはあるけど)


ただそれは諸刃の剣?でもあって、否定的に言えば
「時間にこだわるんじゃなくて価値にこだわれよ」
という論理にも用意に転び得る(=パワプロ理論の横行)。

「時間は関係ない、バリューフォーカスだ」
「時間がかかるのは自己責任。お前の能力のなさゆえだ」
こういうロジックも容易に成立し得る(もしくはそう認識するのは容易)。

そして未だに、このロジック自体を否定できるようなものを
私は十分に持てていないとも思う。ごもっともすぎる。

社会に出る、とか、責任を全うする、なんて、
本当に生半可なことではないんだなということを感じる。

特にこだわりがない、抜け漏れありまくり、ADHD気質の私からすると
きちんと相手にコミットし、責任を持ってデリバリーする、というのは、
正直かなりきつい。あまちゃんとは言え、向いてないなとつくづく思う。
(外交力とかで乗り切る、という手法を今は取っているわけだが・・・)

繰り返しにはなるが、我々のような仕事、つまり
クライアントからの発注ありきの仕事では特に、
「価値」(しかもそれは必ずしも形で定義できない)
を出さないと存在意義がないと言われてもしょうがない
というのは厳然たる事実だ。

それを踏まえた上で大事なのは、
「(そもそもの価値を定義することや、
周りを巻き込む、助けてもらうということも含めて)
自分にできる範囲で相手に求められている価値を出す」
ということ。
これが、職業人として求められていると感じる。

そのなかでいかに生きるか。

相手に求められている価値を出すまでやるのは
(仕事としては)前提なのだが、
結局のところ、仕事をきちんと完遂することも、
精神的限界を察知して逃げるのも、

すべて自己責任なのだ、というのが、一職業人としての態度なのではないか。

因みに、今の私は、

・前からやろうとする、物量に圧倒される、結果何も出来ない、コミットしない、いざとなると逃げようとする、同僚と比較する、言い訳ばかりの新人時代

から、

・前からやっているときには誰か別の人に助言を得る、物量を減らす、人の力を借りまくる、期限ギリギリにやる気を出す、なんとかギリギリのクオリティのものを持っていき、あとはトークと事後修正でどうにかする、お客さんだけを見ていれば社内は一定どうでもいいという優先度付けに変更

という自己流スタイルに変化した。

(なお、このスタイルをすすめているわけでは決してない)

(しかし、自分の特性やモチベーションの端緒を理解し、
なんとか存在できるぎりぎりのところで踏みとどまっている、
という表現が正しいように思う)

 

2. 労働時間が長くなると無条件に病む

(こと仕事の中で)精神的に病むのには様々な原因があるとは思うが、
「連続して長時間労働する」ことは少なからず精神に悪影響を及ぼすのは自明だ。

(この辺は激務と呼ばれる業界に身をおいている人であれば
皆さん身に覚えがあるのではないでしょうか)

特に若いうちは、身体的疲労がクリティカルなものになる前に
心が疲れていくものだと思う。

「そもそも私はいったい何をしているんだろう」
「仕事に、会社に、社会に、殺されるかもしれない」
「今飛び込んでしまえば、会社に行かなくて済む」
「どうやって起き上がればいいのかわからない」

といった状態。実際、一定以上働くとこういう感じになる。

もちろん、人によるのかもしれないし、無自覚な場合もあるわけだが・・・
(そしてまたそれが武勇伝化するっていうのもあるあるですね)

長時間労働は、必要ではあるとは言え、(短期的にも、中長期的にも)
精神を(中長期的には身体もなんだけど)蝕んでいくのは厳然たる事実

(仕事だから、というわけではなく、何か一つのことに集中した状態で
何時間も続けることは、極度の疲労につながる、ということを言っています)

 

3. 信頼できる人と働く(もしくは味方を一人でもいいから持つ)ことが大事

上記のような業界構造、また人間のカラダの構造からして、
やみやすい環境に置かれているのは言うまでもない。

責任の重さ、タスクの多さ、長時間労働などにより、
病んでしまいそうになることはままあるといえるだろう。

 

では、どうすれば死なずに幸せに働けるのか。


ここで私が言いたいのは、
「信頼できる人が見守ってくれているか否か」が鍵を握るのではないか
ということだ。

心が病んでしまっているとき、自分の目線は
「責任を果たせないかもしれない自分への失望」や、
「能力の低い自分への自己嫌悪」に向いていることが多い。

こんな状態になっていたら、正常な判断はできない。
一旦休んで(もしくは気持ちを切り替えて)リセットし、
自分をもう一度客観的に見られる機会や時間が必要だろう。
しかし、そのことにすら、自分だけでは気づくのは難しい。

そんなときには、結局のところ、周りの人に助けてもらうしかない。

社内、社外は問わないが(様子が見えるという意味では社内のほうが望ましい)
・中長期的に見守って変化を察知してくれる
・狭窄視野に陥った状態から逃がしてくれる
・評価以外の観点で関わっている
人が必要なのではないか。

仕事、仕事のなかでは、容易にパワプロ理論がまかり通る。
価値を出せないやつは存在意義がないと罵倒されることは
ある種理にかなっているとも言える。
(マネジメント観点では間違っていることが多いわけだが)

そんななかで、それ以外の観点があるんだよ、ということを
言ってくれる、かつ信頼できる他者の存在が必要だとつくづく感じる。

・・・結局のところ、自分を見てくれている味方がいる
というところが肝なのではないかと思う。

(そしてそれは価値を出す、アウトプットへの信頼ではなく、
人としての信頼であり、それらは圧倒的に異なる)

会社での仕事というのは、
1人でやるものなのではなく、仲間がいてやるものだ、ということである。

 

逆説的、というか、意外な感じもするが、
こと弊業界のような成果主義の業界ではなおのこと。

(特に責任感の強い人、自己確信のある人、特定の価値判断軸で勝負している人は、
自分の弱さを認識するセンサーが鈍いとも言える。)

 

「今あなたは精神的に追い込まれているんだよ」
「つらいのは事実、つらがっているという事実から目を背けちゃ駄目」
「自分に限界が来ているなら、逃げても大丈夫。
それを社会(とまではいかなくても、少なくとも誰か)は受け入れてくれる」
ということを言ってくれる人がいるかどうか。

「時間(≒経験)でしか解決できないよ」
「死ぬまで働け、死なないから」
「俺はもっと苦労した」
「俺も産業医につれてかれたわ(笑)」
「お前の同期はもっと苦労して働いている」
「お前はなぜ倒れてしまうのか」

と言い切る人しか周りにいなかったら、
私もまた、死ぬしかなかったと思っているわけで(なお上記発言はすべて実話)。

 

※ただ、言っておきたいのは、上記の発言や
今回の問題で言うところのパワハラモラハラ、人格否定は
やっている側に必ずしも悪意があるわけではなく、
会社の作り出している文化の問題だと思う。

だからこそ入る会社は選ばないといけないし、
入社前の段階で「信頼できる社員」を一人でも
見つけておくことは、すごく大事だとも思う。

それが出来なそうだったので大企業に行かなかったのは
かつての自分の選択を褒めたいとも思っている笑。

 

・・・と、ここまで連々と述べてきたが、
自分も別に一人前に価値を出せているわけではないので、
あまちゃんの戯言でしかないとは思う。

ただ、そんなあまちゃんでも、抹殺されることなく幸せに働くには、
自分の身の程をわきまえた上で、
常に冷静に自分にできることを考え、
不幸や過酷さに耽溺するのではなく、
出来ることを淡々とやることのみである、
ということなのではないだろうか。

 

(とはいえ、会社という観点で言うと、
社会に出たばかりのあまちゃんに対して、
社会に出る難しさやお金をいただく難しさは
それでも学んでもらわないと困ることでもあり、
そのギャップは人を容易に混乱させると思うので、
マネジメントって本当に難しいよな・・・)

 

ここで、私の転機について、自己満足的に話を。

 

深夜のMTGからの朝帰りを繰り返した後、一度倒れた。
そして、褒められるでもなく、ささくれ、病み、周りに迷惑をかけ、
部署の偉い人からも苦言を呈されるような状況に。

自分はこのままだとやばい、ということを実感。

しかし、私はもうどうすればいいのかわからなかった。
自分を攻撃することで現実から目を背けることしかできなかった。

「焦ってもしょうがないこと」
「同期と争ってもしょうがないこと」
(勝ち目がないばかりかその目線に立つと幸せにはなれない)
「もっと大事にすべきことがあること」
パワプロ勢からは言い訳乙って言われそうだけど)
を会社の先輩に諭され、しぶしぶ目の前のことに取り組んでみた。

地道ではあるが、少しずつ気づいたのは、

自分にできる範囲のことを宣言して遂行すれば、
他の人が意外と何らかの助けをしてくれること、

会社の人は敵ではなく味方かもしれないこと、

逃げなければ誰かが(結果的に)評価してくれる(かもしれない)こと、

そしてそれは意図することではなく、
ただ目の前のことに誠実になることによってしか得られないということ。

(遂行できているかというのはまた別の話ですが)

 

この経験があったので、相対的に低スペックで
体力精神力ともに劣っていても、なんとか今も仕事を出来ているんだろうなと。

 

※なお、弊社は某国立大学(×2)出身者がほとんどを占めており、
自分の代は自分以外のすべてがそのどちらか出身。
学歴を言い訳にするつもりはないが、処理能力などは歴然の差。

 

以上が自分の経験から言えること。

 

ただそれは会社自体への信頼とは全く関係なく個別具体的な話だし、
全員が全員そういう人を得るべき/得られるというのとは違うので、
あくまで方向性として推奨しているという感じで捉えてもらえれば。

(個人的には、信頼できる社員がいない会社なら、もはや
働く理由もないので辞めちゃえばいいのではと思うわけだが、
仕事にはいろいろな目的が包含されているような気もするので
あくまで一意見として捉えてもらいたいです)

 

結論:労働時間とかの定量的な問題や、それを下支えしている業界構造などにも問題はあるけど、結局のところ、信頼できる人と働く(もしくは味方を一人でもいいから持つ)ことが一番大事

 

ここまでかなり冗長すぎるけど、
会社自体・社会全体が改善するのは難しくて
(特にこういうお金のもらい方をしていると)、
日本全体の課題としては残り続けると思う。

でも、ミクロで考えるのであれば(自衛手段として)、
自分の周りに1人でも信頼できる先輩、上司、同僚を見つけて味方にすることが、
死なないでいながらにして価値を出して働くための
数少ない手段なのではないか。

 

そして、少し視野を大きくして、チーム、という観点で見てみると、
「親和性の問題だから違和感あればやめれば」
って思うことも無きにしもあらずだけど、
そういう短絡的な考え方ではなく、
一緒にやって価値を出すという意思さえあれば
その人なりの働き方を一緒に考えることは出来るよなとも思っている。

 

「その仕事にどんな意味があるのか」
「何が相手にとっての価値なのか」
「具体的にどのように進めればいいのか」
を放置せず、ずっと見守ってくれる、助言をくれる人がいる。

それが、長くきつい労働でも乗り越えられる
唯一の解決策であるように思う。

 

---

 

なんにせよ、こういう働き方はいいようにも悪いようにも捉えうると思うので、
自分の無理のない範囲で柔軟に思考できるといいなと。


だって、自分が幸せになるために働いているもん。少なくとも、私は。


生きているうちの大半を占める職場において、
肩肘張らない場や関係性は少しぐらいあってもいいし、

お互いのパーソナリティや価値観や能力を理解した上で
みんなで目標に向かっていけるような会社で働けると
いいなあ、と(馴れ合いではなく)。

本来労働は楽しいもので、人を死なせてしまうようなものではない。
「生きることが一番の労働である」とも言えるかもしれない。

傍を楽にするとはどういうことなのか、もっと考えたいなと思いつつ、
いったん、筆を置くこととする。

【最近のブーム】その辺で売っているたまごサンドでランキングをつけてみたよ

私は偏食癖が強いので、
最近はたまごサンドばかり食べている。

 

※参考:過去にハマったもの
チーズ(カマンベール、ブールチーズ、ミックスチーズなど)、キャベツ、ベーグル、ドイツパン、餃子、塩パン、カレー、ヨーグルト、・・・
クラフトビール、スパークリングワイン、・・・

 

なので、今日はたまごパンについて語り散らそうと思う。


たまごパンの美味しさを図る要素は、以下の3つであると考える。

 

①パンの柔らかさや美味しさ
→たまごパンには白パン(ハイジパン)の親和性が基本的に高い。
固いパンよりもやわらかいパンのほうが良いと思っている。

②フィリングのクオリティ
→白身と黄身のバランス、味付けのバランスの2点かなと。
黄身感があるのと、マヨネーズ感はできるだけないほうがいい。

③フィリングとパンのバランス
→質的な意味では、ふわふわしたパンとほわっとした卵の融合がキモ。
量的な意味では、やっぱりフィリングは多いほうが嬉しくなる。

 

最近食べているのは、主に「コンビニのたまごサンド」と「市販のたまごサンド」だ。
今回は市販のものについて記載していく。

 

【1位】Pasco ソフトランチパン たまご 袋1個

mognavi.jp

総合評価:★★★★☆

①パンがふっくら柔らかな白パンに挟まれている時点で、
私の心は躍った。食べても、ほわほわ。うまい。
味も主張しすぎず、うまく卵を引き立てている。

②フィリングも、あら目に作ってあってよし。

③ただし、フィリングの割合が少し少ないのは残念。
味のバランスは最高。パンが卵をそっと立てる感じで、
心が優しくなれる、ような気がする。

感想:そして特筆すべきはコストパフォーマンス。
普通のサンドイッチが200円前後であるのに対し、
これは100円。圧倒的に高CP。
ただし満腹感はあまりないのはフィリングの量ゆえか。

適した文脈:帰り道ちょっと疲れたとき、
買って帰って家で手軽につまめるかなと。
温めなどの調理も不要なので、手軽な文脈にピッタリ。

 

【2位】ヤマザキ ランチパック たまご 袋2個

mognavi.jp

総合評価:★★★★☆

①まず、パンが甘くて嬉しくなる。
きっちり食べている、というか、
味が押し寄せてくるような感じ。

②具の味が濃い。こちらも食べてる感じがする。

③量のバランスでいうと、フィリングも多くて良いが、
味という観点では、どちらもややしつこめ。

感想:やはり満腹感でいうと、こちらのほうが上。
ただし、味の主張がそれぞれ強すぎる印象を持った。
たまごサンド特有の優しさ感が足りないかなと。

適した文脈:そこそこおなかすいてて満足したいとき。
このくらいお互いの主張があるのであれば、
ホットサンドにして食べるのも良さそうかな。
アレンジのしようは結構あるなという感じ。

 

【3位】

ヤマザキ バリューデリシリーズ たまごロール

mognavi.jp

総合評価:★★★★☆

①パンはけっこう柔らかめ。あと甘いので具があんまりなくても大丈夫。
パン自体には高級感とかはないかな。まあ、バリューデリだし。

②フィリングは卵感があって結構好き。ただ、量はあまり多くない。
マヨネーズ感はあまりないが玉ねぎ感もない。卵が好きな人におすすめ。

③フィリングとパンのバランスは結構いいと思う。

感想:これはCP良いので結構ありかなと思った。
ライトに食べれるので、深夜とかでも食べても許されるのかも・・・とか(デブ甘え)。
 

【4位】

フジパン スナックサンド タルタルたまご 袋2個

mognavi.jp

総合評価:★★★☆☆

①パンは2位のランチパックとそこまで変わらない。
ソフトでほわほわだが、やっぱりちょっと主張が強いか。

②特徴的なのは具の味。ただのたまごではなく、
タルタルたまご。ピクルスの酸味がアクセント。
私はピクルスは嫌いではないが、マヨネーズは
そこまで好きではないので、これは優しさに欠ける印象を持った。

③量的なバランスで言うと、フィリングはランチパックより少なめか。
質的なバランスで言うと、やっぱり味はしつこくてあまり好きではない。

感想:やっぱり純粋なたまごサンドが好き。

適した文脈:がつんと主張のあるたまごサンドが食べたいとき。
こと私で言うと、そんなときはないのでリピ買いはないかな・・・

 

 

【これから食べるもの】

ヤマザキ モッチdeソフト たまご 袋1個

mognavi.jp

これまだ売ってるの見たことないんだけど、
どこに売っているんだろう・・・
※他にもたまごサンドパンの目撃情報あれば
お寄せください!

【総括】

ずっとパンは好きなのだけど、
昔よりも味覚の方を重視した食品選択に
自分の思考が移行しているような気はしています。

ライフステージの変化なのか、
味覚の幼児退行なのか謎ですが・・・。

あと、たまごサンドはそこまでではないですが、
パンは熱を加えると基本的に美味しくなると思っています。
例えば、クロワッサンとか。

最近話題になっているトースターとかもあるけど、
パンはやっぱりトーストとかをすると
味がぜんぜん変わるなって思っているので、
中長期的には、やっぱり美味しくパンを焼ける
トーストが欲しいなあ、と思いました。

 

意味のない更新、おしまい。
食事の時間を犠牲にして更新したので笑、
午後はお仕事がんばります。

人間の生き方は4つのゲームに分類できる、という仮説(追記有)。

おひさしぶりーふ。

 

そこそこにしんどい調査期間を終え(月~木)、
それで金曜日の午前中は倒れて会社に行けない
・・・といういつものやつ。
最近会社では安定的に真顔のくろえです。友達いません。

 

さて、どうでもよいことはさておき、
ここで最近の僕の研究テーマと成果を発表します。

納品近いしいろいろ詰んでるけど、言いたくなったので言います。

 

最近の自分の関心領域は
「人が自らの人生(および大事なこと)を何であると捉えているか」
という話なんですね。

で、最近すごく腑に落ちた話があったので。

 

世の中の人間は、言わば4種類のゲームをやっていて、
それによって人間関係の構築方法や相性が決まるのではないか?
・・・ということ。

 

何を言っているか意味不明だと思うので、頑張って説明します。
コンサルなので2軸で切ってます。

 

■人間がどんな人生を生きているかを端的に表すための2軸

・1つ目は、「生きている時に何を見ているのか」ということ。
自分もしくは他人としましょう。

・2つ目は、「人生の目的が何か」ということ。
何が第一義か、ということかな。社会性の有無かもしれない。
承認主体の人(他人の承認ベース、社会性あり)と探求主体の人(自分の欲求ベース、社会性なし)かなと。

 

※ほんとはZ軸に「スペック」がある(要は「ただしイケメンに限る」)んだけど、その話をすると悲しくなるのでやめておく。

 

で、その2軸にしてみたら、こんなんできた。

 

■人間がどんな人生を生きているかを端的にゲームで表したものがこちら↓

※筆者はゲーム詳しくないので完全にイメージです

 

f:id:cloalien:20160919023226p:plain

 ※グラディウスでした、誤字さーせん!

 

お分かりいただけるであろうか。
以下に説明を加える。

 

■各象限の特徴

【第一象限】「ラブプラス」タイプ(他人志向、社会性無)

他人の価値観や思考に興味を持ち、関係性を探求するこのタイプ。恋愛ゲーやり込むタイプ。人間厨とでも言おうか。
恋人好きすぎてうっかりポエムを書いてみたり、シチュ萌えしたり愛のささやきあいにぼむぼむしちゃう人。他人との時間が至高で、好ましい関係性を紡ぐことがなによりも大事、みたいなやつ。ただし、肝心の人間関係が健全でない場合、ファン化、奴隷化、精神崩壊、被DVなど、なんか拗らせる。やつ。
因みに筆者は概ねここ(聞いてない)。西野カナとかもここか?岡崎京子の世界観とかはこっちかな。きみが心に棲みついたのキョドコもこのタイプ。 
テニプリで言うと・・・うーん・・・さくのたんとか・・・?ちがうか。。あんまいなそう。

 

【第二象限】「マリオパーティー」タイプ(他人志向、社会性有)

他人に同調し、埋もれながらも相互承認で生きていくことを志向しているタイプ。某母校大学のウェイとかウェイとかはここ。なんにせよ小集団を作ってそこにコミットしている人はここな感じ。会社愛!みたいな人とか。この世の多くの人間は、(いや、日本人の多くは)ここかな。私の母校の人とか、特に女性には多い気がする。一番うまくいきていけるタイプ。共同体にいる以上、これが増えるのはある種当然か。
ぱっと思い出したのは、テニプリで言えば菊丸くんとか桃ちゃん先輩とか。ちょた(鳳長太郎)もここかなあ。ていうか六角?

 

【第三象限】「パワプロ」タイプ(自分志向、社会性有)

会社のランクや社会的ステイタスを争うために明確なルールの決まった社会で働いており、それが個人の価値観にも如実に反映されている(逆か?)パターン。勝負する場所を見極め、一番でありたい、自分の能力を限界まで高め、最大限金銭的価値(とは限らない(社会的価値とか社会的ステイタスとも言い表せるかもしれない)けど、ここでは便宜的にそう表現している)に置換したいというタイプ。良くも悪くもプロ。
外銀マン、証券マン、商社マン、コンサル、・・・なんかは全部ここなんじゃないかな。男性は多そう。キャリアを一定志向している人はみんなここなイメージ。
上記だけだと、経済的価値やビジネススキルに特化しているような印象を受けるが、そういうわけではない。女性でも、自分の能力で生き残ろうとしている人とか、社会から見た「良い女性」であろうとする人はここに入る感じ。パワプロでいうと野球選手の奥様になるようなゴールイメージか。芸能人とか、プロ彼女とか、東カレに出てきそうな感じの人はここに入るので、女性も一定ここかもしれない。
で、テニプリで言うと、もうほとんどここですね。スポ根だったわ、あれ。イメージ強いのは、赤也くんとかかなあ。なんかもうちょっとキョロ充っぽいのでいうと、観月先輩とか?不二弟とかもここかな。

 

第四象限】「グラディウス弾幕ゲー」タイプ(自分志向、社会性無)

やりこみゲーを職人技的にこなす人。繊細な文学的表現を好み、内にこもり美を追求する感じの人はここかなと。特殊技能持ってたり、芸術家気質だったり、みたいなイメージ。無骨だけど自分の追求することを(社会的承認よりは自らの探究心ゆえに)ちまちまやりこむ職人肌。
テニプリで言うと、大好き真田弦一郎とかは、第三象限ではなくこっちな感じがするんだよなあ。黙々と淡々と鍛錬していそうな感じが。不二くんもこっちのイメージね。孤高の天才みたいな。

 

一応例を図に当てはめてみた。

f:id:cloalien:20160919024323p:plain

 

■ここから得られる気づきと示唆

この軸を切ることで、いくつかの示唆を得られる気がするので記述しておく。

 

【気づき】

・基本的に、別のゲームをプレイしている人とは、ゲージが違うので戦うことはできない。
例えば、ラブプラスを日常プレイしている人の前に、突然パワプロやってる人が現れた場合、そもそもフィールドは放課後の教室じゃなくて野球場だし、ラブプラスでほしいのは甘い言葉だったり優しい対応だったりするのに、いきなりバット振り出すし、ラブプラスでやりたいのは両者の駆け引きなのに、パワプロポジションや筋肉回復にしか興味がなかったり、みたいな。

・とはいえ、前提として、たぶんひとはこの中でも「メインでプレイしてるゲーム」と「理解でき、参加もできるゲーム」があるはずで、隣のマスくらいまでは越境できる気がしている。そのカバー範囲は個体差があるかもだけど。
例えば、私は基本ラブプラスしてるけど、同じ探求という意味ではやりこみゲーをやる人は一応理解できる(地味にちまちまソリティアするとかは一応できる)し、他人に興味がある点ではウェイも一応理解はできる(ので、マリオパーティーとかボードゲームは一応出来る)。

・対局に極度によっている人種同士は、お互いの人生のゲームのルールがぜんぜん違うので、お互いを理解することができず(理解する機能というか相手のゲームの変数というかゲージがないので)相容れない可能性が高い。
例えば、
第一象限と第三象限。それはさっき説明した通り。第二象限と第四象限とかも同様。弾幕ゲーやってる引きニートと某大学のテニサーウェイの親和性の低さを想像してもらえば何となく分かるかな。

 

【教訓】

・自分がなんのゲームをしていて、どこまでは対応できて、相対する人間がメインでやってるゲームは何なのか、ということを理解することで、自分との親和性や、関わり方を考えることは出来ると思う。自分の得意な人間としか関わらない、というのは難しいし、ときに自分と違う世界の人間と交わることにも、場合によってはそれなりに意味があることもある(かもしれない)し。

・そして、もしゲームが違うことを相互に理解出来てると多分すごい。相容れないはずのセグメントにいても、「(普通にしていたら)理解できない」ということを認識できるので、一定打ち手を想定しながら人間関係を構築できる可能性が生まれる。

・そして、双方にゲームが違うことを理解すれば、「なんでわかってくれないの!?」問題は一定解決する気がする。ラブプラスの人は他者理解のゲージを持ってるしそこをレベ上げしたいけど能力とか筋肉量みたいなゲージはなくて、前者のゲージをパワプロの人に求めてもそういうゲームじゃないしね、という感じで。他人に建設的でない期待をせず、より好ましい関係構築に向かうことが出来るのではないか、という期待。

・(おまけにすぎないが)たぶん人間社会の中で圧倒的に多いのは【第二象限】。ちゃんと組織社会のなかで生きれる人。続いて【第三象限】。資本主義社会でうまくやっていける人。で、社会でうまくやれないのはそれ以外のタイプなんではないかなと。集団社会もしくは資本主義社会に適応出来ていない可能性が高いので、第一、第四象限に属する人間はそのことを認識したうえで、第二、第三象限との関わり方や適応方法(せめて理解できるように)を思考すべき。

・逆を言えば、第二、第三象限の人たちが、第一、第四象限の人を理解する必然性はそこまでないかも。 生きているうえで必要になったら、という感じか。それをどうすればいいのかは私にはわかりません。

 ・さっきこれ上司に喋ったら「象限の中にも濃淡があって、象限の中で濃淡の違う人だと逆にけんかとかしちゃうかも。逆に俺は違う象限の人とのほうが一緒にいれるなあ」とのことだったので、理解できる、ということと、好きである、とか、一緒にいる、というのは違うのかも知れない。

・ただ、これは上司が「自分がどこのゲームをどのくらいの濃度で戦っているか」を認識しているからなのではないかとは思った。さらに言えば、「自分がどこのゲームを戦っているか」を自覚していない人の場合、自分のゲームで戦うことを全種類の人間に要求するので、その場合は同じ象限内でないとうまくいかないんだろうな、とも思った。

・そして、「自分がどこで戦っているのか」と「自分がどこまで理解・適応可能か」というのはそれこそ経験を通じてしか体得&拡大できないらしい。

 

・・・というわけで深夜テンションで投稿したけど、
割と人間の価値観をすっきり2軸で表現できる
整理フレームな気がするので、ぜひ使ってみてください\(^o^)/(?)

 

ではではあでぃおーす。よきしるばうぃくを!
(なお私のしるばうぃくは終焉を迎えた!明日は会社だ!死にたい!)

目的ない記事投稿をしてみんとて、するなり(主に人間関係について)

最近、文章化やコミュニケーションに関する思考をする機会が多いので、とりあえずそれらを一切無視して、昨日くらいなのかな、仕事しながら書いてた日記(付箋に書いてあった)をここにコピペで置いていく。

 

<免責文言>

テーマもなければ、投稿に目的もない。(ターゲットは潜在的には存在している可能性はあるが・・・)強いて言えば私理解か。かまってちゃんか。

一旦、何の制約もなく、ただ文字を衝動的につむぎ、それを世に出す、という無意味ないとなみをしてみたい、と思ったからだ。

というわけで、さんざん免責文言を並べた上で、置き逃げ。

 

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【家族について】

・私は家族(特に父かな)でいると、違う視点からの考察により思考に刺激がもたらされる&思考が進捗するから好きなんだなあ

・ママの愚痴は、自分の置かれている境遇と恐ろしいほど似ていて、すごく嫌だと思ったけど、ただの同族嫌悪だなと思って本当に嫌だ

 

【男女関係について】

・相手が何かいけない(もしくは不快な)ことをしたときに、それを受けて別れるのか、それとも相手を許して相手が変わっていくのを待つのか
→基本的には、相手の変化する可能性を信じて付き合うというものなんだろうな
→付き合う根拠はほぼ衝動・感覚。契約に基づくものではないのが人間関係の特異性

 

【コミュニケーション不全】

・かまってちゃんだからなのか、中途半端に目的思考だからなのか、特定の読み手を想定してアウトプットしてもしかるべきリアクションがないのは、こうなんというか死体に向かって話しかけているような気分になり、自分への不信だけではなく対象者への不信につながるんだなあ

・アウトプットしないほうがマシということなのか。よく芝居などで、相手からの返事がなくても相手の無事を祈って手紙を書き続ける戦時中の妻みたいなの出てくるけど、基本的にインタラクティブなコミュニケーションがないのであればアウトプットする意味が無いしなんていうかそんなに人間できてないしそこまでして特定の人間に固執して悲しくなる必要はないし自分の醜さに辟易とするのは気持ちいいことではあるけど実際相手からすると不条理である可能性もあるしもうなんていうかとここまで書いてみて横文字の多さに草

 

【私の持つ欲求とコミュニケーションの関係性】

・私個人が持っている「人の痛みをわからないながらも理解しようとし続けたい」という根源的な欲求をもとに行為する先に何らかのメリットがないのであれば、その人間関係は私にとっては破綻しているといっても過言ではない。「理解に基づき、その痛みをよりよいものにしたい」という欲求がワークしない(相手にとってメリットとならない)のであれば、関わる意味も薄いのかもしれない。

 

【異なる価値観】

・自分と異なる他者に出会った時、面白い!と言ってその人を理解しようとし、その人の見方で世界を見ようとするのか、それとも、自分とあう/合わないという尺度で物事を見ようとしているのかという話なのではないか

・私は前者でありたい。前者の人に刺激され続けたいし、学び続けることを妨げられたくない。人との関わりの一つ一つに、勝手に思いを馳せて、勝手にきゅっとしたい

・人と分かり合えない現実を分かりながらも、どこまでも肉薄していきたいという醜い願望を認識しながら。理解できることがないという敬意を持ちながら。そして、そんな感覚を共有できるといいんだろうなー

・そろそろ色んなコトを真面目に考えないと。私はどんな世界を生きていたいだろうか
・無言の信頼なんてものは「存在すると思うもの」ではなく、「存在するもの」であるはずで。言語化すべきでも、望むべきもなく、あるかないかだけ。議論や欲求すること自体が野暮なのかもしれない

 

【人間関係は「役割」なのか】

・そもそも人間関係に「役割」をあてがうというものが、私の認識の中では少し違うような気がしている。

・それこそユーザビリティは「特定の利用状況において、特定のユーザによって、ある製品が、指定された目標を達成するために用いられる際の、有効さ、効率、ユーザの満足度の度合い」のことを指すけど、これは社会を構成するものを思考するのには役立つ概念だなとは思いつつも、人間関係――こと、恋愛など、包括的に人生を支えるもの――については、必ずしも当てはまらないのではないか(それはほぼ欲求や衝動、感情、感性といったものが起点になっていると考えているため)と最近思う。

・役割の枠組みが先に立つ人間関係は、もはや「恋愛関係」ではないし、私の定義するところでは人間関係ですらないのではないか(だからといったらいいわけになるが、私の人間関係の幅は極端に狭いという認識がある)

 

【「仕事」や相手、外部環境のせいにすること】

 ・(ここでいう「仕事」というのは概念としてであり中身としてではないが)「仕事」に逃避できたり、「仕事」で言い訳できたり、相手のせいに出来たりする環境は幸せだよね。自分も今までずっとそうやってきたし、今の部下とかを見てても思う

・とはいえ自分も思考しないところなんていくらでもある。例えばリラックマの商品があると刺激反応的に全部買う、とかは無思考ちゃ無思考だよなと思う。それは好きゆえなのかアイコンとしてなのかもはやその境界はわからない・・・そういうものなのかな(すべての行動を意図的に行っていたら時間がいくらあっても足りないというのはもちろんで、だからこそ大事なことは大事にしたいし結果的に時間を使っているという状態になるということ)

・仕事くらい逃避させてくれる場でもいいのかもしれないけど、わたしは、人間関係に関しては、逃げないで自責でやらねばならぬことを常に認識し、慢心しないでいたい

・相手のあることなので必ずしも自分の信念通りに行動するのが正しいわけではないが、そうならないのであればどちらが正されるべきなのかに関しては意思を持ちたい

 

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こうなんというか全体的に野暮感あるけど、日々割と真剣に生きてます。

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い」を俺好みにしてみた

こんにちは。
最近の諸々の鬱憤を晴らすべく、
文字で遊んでみようと思い馳せ参じました。くろえです。

※仕事はつらいけど、たくさん幸せです。

 

さて、ここから本題に。

 

 「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い」

 

かつて部活の顧問に言われた冒頭の言葉。
繰り返し言われたこの言葉の真意は何だったんだろう。

 

※どうやら、「レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説の私立探偵、フィリップ・マーロウのせりふ」らしい。
これを引用し、日本では高倉健主演の映画「野性の証明」(1978年、森村誠一原作)の宣伝文句(「男は強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」)に使われたんだとか。

なんにせよ、深く心に残っている。言葉の印象の強さ故か。

いずれこの顧問の話については書くとして、
その言葉のなんとなく意味するところを解釈したり、
それを勘違いして使っている人をにがにがしくおもいながら、
ここまで生きてきたような気がしています。

 

で、そろそろ、私もこれに対するしっくりくる言葉を
探してみようと思い立ったので、してみんとす。

 

■「強くなければ生きていけない」

 

まず、「生きていけない」、とはどういうことか。
強い、生きる、などの話から想起されるのは、
リアルな生存の話なのだと思う。

私がここまで生きてきた中で、
この世の中は少なからず残酷だ、とは思うけど、
強くなければ生きていけないほどは、世の中は厳しくない。
貧しければ貧しいなりに、厳しければ文句を言いながら、
なんとか生きていくことは出来る。

 

では次に、「強くなければ」のところだ。
そもそも強いとは何か。
精神的な強さなのか、技術的な強さなのか。

ここで言われている(少なくとも語られていたのは)
技巧、実力としての「強さ」だったと思う。
イメージとしては、百獣の王のような。
私はこれをどう捉えようか。
イメージ、ロジャー・フェデラーなんだよなあ。これ。
力だけが秀でているというよりは、総合的に強いみたいな。
「心身ともに」ということになるのかな。

 

・・・とすると私は、
「心身ともに強くなければ、生きるのは大変だ(つらい)。」
というのがしっくりくるかなと。

 

■「優しくなければ生きる資格が無い」

 

ではこちらだ。

「優しさ」とはなんだろうか。
これはすなわち「人としての器の大きさ」かなと思う。
人の痛みを、限界をわきまえながらも想像し、
他人に敬意を払いながら、その人に憑依する。
だれにでも入り込めるわけではないという己の限界を知りつつも、
その範囲においては、相手の立場に心を寄せられるような。

 

「生きる資格が無い」という言葉、これが一番しっくりこない。
そもそも生きることは資格を与えられることではなく、
もうこの世に生を受けてしまった時点で生き抜くことを運命づけられている
ように思う(長さや背負う制約は違えど)。
なので、資格は生きている時点であるし、
仮に人が優しくしなかろうと、世間は何も彼を咎められないし、
まして彼の生きることを咎めることはないだろう。

・・・とすると、私は
「優しくなければ、世界は優しくない」
くらいの感じがしっくりくるかな、と思う。

優しさを持っている人だけが享受できる世界や感覚がある。
それは、一般的には「よりよい」とされているが、
そこを志向するかは本人の自由なので。

 

■結論

 

というわけで、

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い」

は、私的解釈でいうと

「心身ともに強くなければ、生きるのがつらい。でも、優しくなれば、世界は心地よいものになるのもまた事実。」
とかになるかな。

 

■感想

体育会な名言が、私好みのふんわり感に置き換わってしまった。


周りの評価とか資格とか格付けとかではなく、
自分の心地よさを追求したいよな、と。
というか、それくらいしか生きる際に追求すべきことなんて
存在しないようにも思うしね。

 

以上、現実世界での鬱憤を憂さ晴らししている私でした。
もう金曜日だ、仕事しよう・・・

 

■おまけ

「強くなければ生きづらい。優しくなければ生を肯定できない」
「強くなければ戦いに負ける、でも、優しければ戦わず済む」
とかいうのもちょっと悩みました。何かアイディアあれば教えて下さい。