コスプレでコンサルやってますけど

社内でポエマーと揶揄されるけど、コンサルタントをやっています。社会人4年目くろえの脳内あれこれ。

私にとっての夏休みと、この夏を機にやりたいこと。

 

夏休みなう。
というわけで、先日金曜日から、弊社は夏休みに突入した。

*** 

正直、夏休みの前は、いつも私は途方に暮れる。

普段の平日は目の前にある仕事をウンウン唸りながら何とかこなし、
休日はそれ以外の自分のしたいこと、やらなきゃいけないことを片付ける。

しかし夏休みになると突然長い休みを言い渡される。

 

人生においてやりたいことがあまりないかつ、
休みの日まで(まして大好き上司様のいない)
仕事場に行くのは何となくプライドが許さないかつ、
家にいるのが嫌いな自分にとって、試練のときが訪れる。

 

これまでの夏休み

 

これまでは正直、そのとき付き合っている殿方に
夏の時間を旅行するなどして良きように
埋めてもらっていた(気がする)。


(上記だと至極言い方に語弊があるようにも思うが、
実際のところは「好きな人との紐帯を深めるために夏の時間を利用していた」
と表現のほうが適切かもしれない)

 

今年の夏

 

しかし、この夏はそういうことが一切ない。

これまで「彼氏」と公言できる人が、(ましてこの時期に)
いないことはなかったから、余計に狼狽した。

※夏は誕生日でもあることから、
余計に意識して人といるようにしていた
・・・ということなのかもしれない。

 

いつもやんわり遊んでくれている人も、今年はどことなくつれない。
密かに萌えしだいている人も、日本ではないどこかに消えていった。
女友達はだいたい、収まるべきところに収まっている。

その所在なさたるや。

 

というわけで、
この夏はいよいよもって自分の中にあるものとちゃんと向き合い、
それを表に出す取り組みに着手するべきタイミングかと思っている。

 

20日までの一週間は、そういうことに少しずつ取り組んでいきたい。

 

上司様と約束したこと

 

毎年、親愛なる上司氏と夏の目標を(一応)立てる。

この夏は「具現化しよう!」ということになった。

※経緯としては、私が画面設計を始めとした
具現化フェーズを極度に苦手にしており、

・とっかかりが遅い
・なかなかPDCAが回らない
・仕事に対するやる気が減退する
・ますますやらない
・一朝一夕にどうにかしようとするがそういうものでもない

などの課題を持っていることが所以と考えられる。

 

これはつまり「思考した何かが吐き出される」
ということに対して、よりは、
「他人が見ても大丈夫なくらい、表に出せる何らかのブツ」
が出来てくることを期待されているのだろうと思う。

 

・・・ということなので、まず明日からは
「具現化とは何か」というところから考えていることを書き連ねようと思う。

直観的には、
「仕事でもいい、それ以外でもいい、
何か自分の中で腑に落ちるものを世に出せたら最高だ」
と思っているように思う。

しかし、この心理的障壁の大きさはなんだろう。

まずはその心の動きや心持ちが
どういうことを意味しているのか、考えてみることとする。

 

自分と約束したこと

 

以前にも書いていたし、顔本のお誕生日投稿にも記したことだが、
私は「自分自身が読書と距離があること」が大きなコンプレックスである。

本に没入したことは今までにない。
本に感動を覚えたこと?ましてない。
(ウェブ記事とかならあるわけだが)

 

長い論理構成や主張を咀嚼する力がない、という話以上に、
壮大な物語への想像力が欠如していたり、
ダイナミズムをもって進行する物語を俯瞰できない、
そもそも即座に利益になるものしか興味を持てない、

・・・など、自分の狭量さや浅学さなど、全てのコンプレックスの端緒に
「自らの読書体験の貧しさ」が影響していると考えている。

 

なので、この夏は、半ば無理矢理にでも
本と接触する機会を増やそうと思っている。

・1日1冊読破
※ただし漫画は含まない。短編集や小説はOK

以上のルールを運用していければと思っている。

 

終わりに

 

この夏が終わったとき、
「振り返れば、何かいいことや示唆が得られた」
という状態になっていればいいな、と思う。

毎年同様(どちらかと言えば私的な用事で)
忙しくすることは規定事項なのだけれど、
そのなかでも、少しずつ自らにとって心地よく、さらに言えば
自己を承認してあげられるような習慣づけを
少しずつやっていけるような、その端緒としたい。

 

それでは。あでぃおす!

~夜間の水上温泉より、愛をこめて~

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【備忘録2】ゆず好きな歌ランキング!愛が高じて50位~100位もつけてみた

皆さんこんにちは。

この前のランキング、どうしても漏れがあるだろうと思ったので、
今度は50位~100位について書こうと思います。

どれも捨てがたすぎる。
自分的ゆず大好きランキング、第2弾です。

blog.livedoor.jp

ご笑覧ください。

 

91位~100位

 

91位 シュミのハバ
92位 空模様
93位 恋の歌謡日
94位 ポケット
95位 いちご
96位 一っ端
97位 昨日の俺は俺にあらず
98位 ソウロウ
99位 ダスティンホフマン
100位 桜道2

 

81位~90位

 

81位 冷めたコーヒー
82位 カナブン
83位 青
84位 新しい朝
85位 みらい
86位 つぶやき
87位 ムラサキ色
88位 二つの言葉
89位 スーパーマン
90位 君は東京
 

71位~80位

 

71位 待ちぼうけ
72位 終わらない映画
73位 ぼんやり光の城
74位 四時五分
75位 心の音
76位 ねこじゃらし
77位 言えずのアイ・ライク・ユー
78位 ルルル
79位 手暗がりの下
80位 嗚呼、青春の日々

 

61位~70位

 

61位 てっぺん
62位 うまく言えない
63位 灰皿の上から
64位 使い捨て世代
65位 フラリ
66位 ウソっぱち
67位 人生芸無
68位 幸せの扉
69位 葉月の雨
70位 いつか
 

51位~60位

 

51位 みぞれ雪
52位 オーバー
53位 凸凹
54位 境界線
55位 未練歌
56位 眼差し
57位 グッドモーニング
58位 風吹く町
59位 おやすみ
60位 日だまりにて

 

というわけで、栄えある?51位は
大好きな「みぞれ雪」とさせていただきました。

 

今週もお疲れ様でした!
徹夜明けで頭がおかしくなっているくろえでした。

良き夏休みを。

【備忘録】ゆず好きな歌ランキング!ベスト50をつけてみた

皆さんこんにちは。

今日はこんなスレッドに感化されちまったので、
自分的ゆず大好きランキングを雑に付けました。

blog.livedoor.jp

ご笑覧ください。

 

50位~40位

 

 40位 贈る詩
41位 シュビドゥバー
42位 冷めたコーヒー
43位 空模様
44位 ふくろ
45位 今夜君を迎えに行くよ
46位 〜風まかせ〜
47位 日だまりにて
48位 表裏一体
49位 桜木町
50位 スミレ

 

39位~30位

 

30位 サヨナラバス
31位 日曜日の午後
32位 センチメンタル
33位 雨と泪
34位 夕暮れどき
35位 風に吹かれた
36位 連呼
37位 かまぼこ
38位 使い捨て世代
39位 朝もや

 

29位~20位

 

20位 Re:スタート
21位 時刻表
22位 はじめの一歩
23位 向日葵ガ咲ク時
24位 ダスキン
25位 風とともに
26位 旅立ちのナンバー
27位 威風堂々
28位 飛べない鳥
29位 方程式2

 

19位~10位

 

10位 少年
11位 かえるのご帰宅
12位 月影
13位 街灯
14位 直径5mm
15位 春三
16位 以上
17位 飛行機雲
18位 君宛てのメロディー
19位 過食な健康食

 

10位~5位

 

5位 月曜日の週末
6位 3カウント
7位 朝もやけ
8位シャララン
9位 アゲイン

 

5位~1位

 

1位 始発列車
2位 チョコレート
3位 くず星
4位 人間狂想曲
5位 濃

 

というわけで、1位は悩みに悩んだ上で
「始発列車」とさせていただきました。

今週も頑張ってまいりましょう。

【恋愛小噺パート5】「好き」を直観的に自覚する尺度とは? ~あるコンサルタントのひとりごと

おはようございます。

昨晩はチームの大好き上司と飲みに行くも、
席が遠くて&場の盛り上がりから直接あまり話せず
悲しみを感じながら、つくづく場への精神的な適応性の低さを反省しました。

飲み会はやっぱり苦手なくろえです。

 

昨日少し書いていた記事の追記についてその後考えたので、
再度独立して掲載することにしました。

お題は、「恋愛として好き」であることを直観的に判別する方法についてです。

 

(いってい拗らせているときには、自分のことがわからなくなり、
「直観する」という言葉の意味すらもよくわからなくなって、
「直観」を感知する方法を言語化しようとしている、ということです。)

(でも、受動的に生きていてかつ言語化しないと物事を認識できない人間が
自分の主体的な心の動きを観測しようというのは、大事なことだと思う、
と自己正当化を図ってみたり。。。)

 

検索してみた

 

Google先生に「自分 好き 判別」と問いかけてみると、
「相手が自分を好きなのか判別する方法!」みたいな記事ばかり出てきて、
世間のニーズはそちら側なんだな、と思いつつ、
いくつかの当てはまりそうな記事を読んでわかったことを以下にまとめます。

 

人生のマインドシェアを獲得していること=好き?

 

どうやら

・相手に関する情報収集をする(相性占い、趣味、仕事についてなど)
・相手を目で追う(これはそうかもね)
・相手に会う前に高揚感を感じる(ドキドキ、わくわく、ある種の緊張、あるいは帰りたい感)
・相手と話すとき、普段どおりの性格で接することができない
・相手と一緒にいない時でも、もっと会いたいと思う
・相手のことを好きであるということを公言できない

といったことが「好き」のシグナルとして紹介されているようです。

 

自分の人生の時間のなかで一定のマインドシェアを獲得している
ということすなわち、「好き」と捉える、という話のようです。

ただ、上記は「好きである」という納得があっての行為でもあるように見えて、
ここで扱いたいのは、もっと原始的な身体的感覚(=「直観」)の話かなと。

自分がその人のことを好きだと思っているのか、
相手から来ているものに対して受動的に反応しているのか、
ということの境界は往々にして淡く、自覚しづらい。

だからこそ、自分のなかにある能動的(あるいは直観的)な「好き」を
知覚できる方法を探しているのです。

 

直観的な感覚のなかでも、重視すべきこと  

 

今のところ、自分の中の主体的な「好き」を観測するには、
「手をつなぎたいと思うかどうか」という尺度が
最も適切な判別方法である、と思っています。

 

例えば私の場合、
あまり人と距離を詰めるのが得意/好きではないので、
「手を繋ぎたいなあ」とある種直観的に思った人については、
「一定距離を詰めて良い、むしろ詰めたい」と認識していることになり、
あ、これ「好きだ」と思っているのかも、ということでこれは納得がいくなと。 

 

 

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※「いい匂いだなあ」と思うこと、とかも候補ではあったのですが、
これは関係性の有無にあまり寄与しないのであくまで次点としました。

(自分のその人に対する距離感や態度ではなく、
ただ相手を判断するだけの尺度なので)

(でも付き合う人はみんな好きな匂いだったな、と思うと

直観のうちの大事な要素なのかも。。。)

「直観」は中長期的な関係を支える最重要事項である

 

個人的な感覚としては、そういう身体的(直観的)な良さを
双方に感じている関係であればあるほど、
その後仲が深まったとして、何らかの危機を乗り越えられる気がします。

(まあでも顔とかもそれに近いのかもしれないね。)

(そして、双方にそう思い合っている状態は理想的だしとても大事。
それこそ相手側のそれは認識できないので難しいわけですが。)

中長期的な関係性の維持という側面でも、
最初の身体的な直観を大事にすべきなのだと思います。

 

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参照

xn--pssr7mv4sjkcu0f.jp 

koimemo.com

 

「2人きりになりたいか、どうか」というのも、
先の身体的接触の話にも近いのかもしれませんね。

 

---

 

さて、今日は久しぶりにお休みできそうなので(涙)、
図書館で積読消化をしてきます。乱読じゃ・・・

 

それではあでぃおす!皆様良き週末を!

【恋愛小噺パート4】好きのカタチ。 ~あるコンサルタントのひとりごと

こんにちは。

最近エモい文章ばっかり書きたがる愛の権化(?)くろえです。

(エモいわけではなく、
自分から、今まで持っていたはずの「好き」の気持ちが
なくなっちゃうのが怖いだけかもしれない。
・・・というのはただの照れ隠しなのかもしれないですね、非常にわかりやすい)

 

さて、今回は「好き」という感情について
少し考えてみたので、書いてみます。

 

「恋愛 写真 フリー素材」の画像検索結果

 

好きの「カタチ」は人それぞれ。

 

好きの対象にもよるし、
好きの発信者にもよる。
好きという感情を持つ人の数だけ、
あるいはその対象物の数だけ、
好きの概念は形を変えうると思う。

 

世の中は「好き/嫌い」の二項対立・・・ではない。

 

好きと嫌いはわかりやすい二項対立だけど、
広く捉えると、世界を構成しているのは
「好き」と「嫌い」の二項対立ではなく、
「好き/嫌い(いわゆる関心。認識可能)」と「無関心(認識不可能)」
の二項対立のほうであることは明白だ。

 

「好き/嫌い」という認識を持つことはどういうことなのか?

 

そして「関心をもつこと」そのものは、
対人、モノ、場所と広く捉えられ、
自分を取り巻くおよそ全ての関係する事物が対象となりえる。

そのなかでも特に自分にとって重要なもの、
自己との向き合いを要するもの、が遡上にあがってくるのではないか。

 

こと人間に関して、好き嫌いの感情が湧くのは、ある種の必然。

 

上記のように、「自己との向き合いを要するもの」であり、
「一定交わる必然性がある」ものがその対象になりえるのだとすれば、
こと人間に対して好き・嫌いの感情を持つのはある種当然に見える。

 

「好き」はコントロール可能なのだろうか?

 

さて、そうなってくると次はその中身だ。

人間関係について考えるとき、「好き・嫌い」という感情は、
場の目的、個人の目的に合わせてコントロール可能なようにも見える。
本当だろうか。

言い換えれば、人との交わりには「思い込み」だけでOKなのか?
好きは思い込みで、意図的にコントロールできるのだろうか?

 

いまの自分が「嫌いなもの」については、きっと許容できない。

 

私は、そういうことではないようにも思う。
(最近特に思っている。)

認識下になかったものを認識し、それを好きになることはあり得る気もするが、

(自分との向き合いをふまえて)人として許容できない部分を持つ人を、
好きになることは難しい。そこは人工的に操作できるものではない。
どうしても首肯できない人は存在する。

そしてそれは自分の自分に対する認識の柔らかくなさを投影しているとも言える。

(これまで好きだった対象をどうしても首肯できなくなることもある。
これは、自分の変化に対応した結果の反応なのかもしれない。)

 

では、「許容できない人間」以外はどうなるのか?

 

許容できない=好きになれない人間が一定数存在するとして笑、
そうでない場合には、ある種「好きになろう」として(あるいはせず)、
好きになっている側面はあるのかもしれない。

であれば、交わる人は「みんな好き」ということになるわけであり、
実際のところ、そんな気もする。

 

好きであることと、関係性を築くことは少し違う。

 

首肯できない他人でないのであれば
濃淡はあれ好きという感情を持てるとわかってきたので、
次に、好きという感情がいかに人間関係に反映されるのかについて考えたい。

 

まず、前提として、異なる二者が存在する場合、
それぞれに対して抱く「好き」のかたちと、
相手が自分に対して抱く感情が掛け合わさったところに、
最適な交わり(冒していい領域と精神的な公開範囲)が決まる。

例えば「目的×関係性」といったように。

 

そしてそれは双方に主観的合理性を持っている(はず)。

 

上記の例として、ごく一般的な認識としての
「仕事上の上司とは寝ないよね」みたいなものは、
双方の双方に対する認識の結果だ。

仕事をする上で大事な存在である上司、という認識と、
同じく仕事の上で必要な部下、という認識がクロスした先には
よりよい仕事をする、ということしかない。はず。

 

まあ、ごくまれに、そういう関係のなかで一線を越える人も存在するが、
それだって双方の主観的合理性はあるのだろう。

感情が合致したところにそれがあったからであり、
世間の一般常識とは何ら関係なく
主体的には合理的な結論だと考えられる。

(例えば双方の制止する感情が弱かった、もしくは「好き」が強すぎたなど)

※筆者のコメントは差し控えますがあえて言えば好きにすればって感じ。

 

好きな人と心地よい関係を持てているだろうか?と自問し続けること。

 

上記のようなトピックは極端な話になってしまうが、
至極アタリマエのことを言っているようにも思う。

双方が主体的合理性を担保しながら、
好きな人と何らかの交わりを持てるように、
そしてそれが適切な距離感や領域、公開範囲であるように
そしてそれが相手にとっても心地よい関係性であるように、
常に自問し、自戒し続ける必要があり、
それを意識することによって、好きな人と心地よい人間関係が
構築できるようになるのではないかと考えている。

 

まあ要するに、お互い好きな方が幸せじゃんね!って話ですね。
(随分乱暴なシメ。)

 ---

今週も一週間お疲れ様でした!

調査終わって駄文書きたい気持ちが高じてしまった成れの果てでした。
あでぃおす。

【恋愛小噺パート3】だって、好かれたいんだもん。 ~あるコンサルタントのひとりごと

おはようございます。

書きたい欲高まり気味のくろえです。
恋でもしているのだろうか。

 

さて、今朝、電車の中でふと思ったことを
書き散らしておこうと思います。

 

仕事の(ひいては生きることの)モチベーションっていろいろ。

 

対自分で言えば
何かができるようになりたい、
お金がほしい、名誉が欲しい、

対他人で言えば
誰かに貢献したい、
特定の誰かの役に立ちたい、
チームの役に立ちたい、
お客さんに貢献したい、

対象物で言えば
好きなことを突き詰めた先に何があるのか知りたい、
特定の領域に関わり続けたい、

など、色々あるだろうなと思います。

 

私の一番のモチベーションは「人に好かれたい」ということ。

 

自分が仕事でテンション上がっているときに
なんでテンションが上っているんだろう、と考えると、

  • お客さんにわたしの存在や仕事を認められている
  • 上司と一緒に何かをする中で、共感や共鳴をしてもらっていると感じる
  • 一定以上時間を過ごす場所のどこかに、自分のことを好きな誰かがいる

など、自分が他人から何らかのポジティブな感情を持たれている状態を
求めているんだなあと思いました。

 

でも、その前提には、
自分が(評価の対象となる)何らかのアクションをする必要があって、
それに対する反応を見て、心地よさを感じ、
そこから先に、その特定個人とよい関係を結ぶ(仕事ならいい仕事をする)、
ということが見えてくるという構造なんだろうな、
と行きの電車でふと、思ったんですよね。

 

要は承認欲求ということか。

 

社内や自分の所属しているコミュニティで
特定個人と親密な関係を築こうとする、とかも
一種この欲求に起因するものなのかもしれないなあと。

(いまはそれこそ社内恋愛などは
デメリットやリスクのほうが大きいと判断してるので、
そういったことは今後起こらないと思うけれど、
根源的な欲求に起因した合理的な行為だった、というのは
いまとなっては納得いくなあ、と思っている。)

 

しかし、相手との関係性や数とは別の話。

 

その相手はたくさんである必要もないんだろうな、とも思う。

そうやって自分を見守ってくれる人が、コミュニティ内に1人いればよくて、
別にファンをたくさん作りたいわけでもない、ということだ。


無差別承認欲求モンスターになるには、器用さも足りなければ、
そこまでの飽くなきモチベーションもない。

 

そこにいていいという安心感、
そして自分の活動をドライブさせるファクターとしての他者、
を求めているんでしょうね。

そのためには、ドライだけど、その特定個人と、
その場で深く関わる必要もないんだろうなと思います。
(好きになってもらうために必要だから、というだけかもしれない)

 

自立は分散だとか言うけど、それも傲慢な話。

 

こうやって見ていくと、「誰かが自分を好意的な目で見ていてくれること」
が行動のモチベーションになるんだから、
どういうコミュニティに行くにしても、そういう人がいてほしいな、と願ってしまうわけで。

だから出不精になるのかもしれない。

とはいえ、「自立は分散だ」とかいう美辞麗句も、
こうやって見ると「どこに行くにも承認欲求」みたいな構造にも見えてくる。

 

それは恥ずかしいことだ。

それは図々しくて浅はかなことだ。

 

それでも、生きていく。

 

でも、そういうもので生きていく人間なんだということを一定受け入れ、
どうすればそうなるのかをきちんと考え、
自分の行動をその道筋に沿って組み立てていく必要があるなと思いました。

 あくまで前向きに。

 

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以上、今日の備忘録でした。


(恋愛の話なのか仕事の話なのかよくわかんないな・・・)
(自分としてはほぼおなじ話なんだよな・・・)

 

怒涛の調査、あと10本!がんばろう。

【恋愛小噺パート2】「一緒にいたい」ってなんだろう? ~あるコンサルタントのひとりごと

こんにちは。

書いたつもりになるのがブログ。
仕事の隙間時間にやるのがブログ。
くろえです。

 

(そういう意味で言うと、6月の案件は
息抜きをしている隙がないくらい定型業務が多かった)

(今日はこれから調査でそれどころじゃないんだけど、
調査一本とんだということは、余裕があるのではないか、と
高をくくっている側面は否めない)

 

さて、前回に引き続き、恋愛小噺。

 

関連画像

 

今日のトピックはこれです、
「好きになる人と一緒にいたい人は同じなのか」

上記テーマについて考えていきたいと思います。

 

一緒に生きたいとは、お互いが良い影響を及ぼし合って前向きにあれる関係性であること

 

前回記事の神上司は言わずもがな既婚子持ちなので、
一旦横においておいたとして笑、

誰かのことを「好きである」ということと、
自分という存在が他者と関わり合う、という段になると、
それはまた別の話になるのではなかろうか。

 

例えば、これまた別にすごい好きだなあと思う人は存在するが、
自分が関わると壊れてしまいそうな人もいて、
そういう人とは交われない、引き受けられない、
ということになる、というのが典型例。

 

交わりという観点で言うと、
以下のようなステップで考えることになるかと思う。

 

前提その1:まずお互いの存在を認めあえること


つまりそれは好きだと思える端緒があり、その存在を認められること。
そして、それが片務的なものではなく、それぞれの心のなかにあるということ。
(前記事参照)

 

前提その2:コミュニケーションが発生すること

 

関わりたいという感情が双方にあること。
関心を持つだけではなく、そのことを相手に伝える関係性が前提。

 

①コミュニケーション様式が不快でないこと

 

上記の前提を満たしたとしても、
(それだって十分難しいんだけどさ)
ここから先が結構難しい。

 

距離感

すべての人間にはパーソナルスペースがあり、これは絶妙な差異がある。
距離感を著しく違う人同士が交わるのは、塵も積もればストレスだ。

なんかこの人近い!みたいな人と相容れるのは難しい。
かといって、極度に女慣れしていない人はどうだろうか。
物理的な距離が遠いのは、本当に打ち解ける気があるのだろうか、
と思わせるような側面もある。

上記からもわかるように、特に物理的な距離(パーソナルスペース)
については、相性しかない。

 

コミュニケーション量とその手段

コミュニケーション量やその方法についても同じで、
言葉によるコミュニケーションをどの程度好むのか、
それ以外の方法をどのくらい信用しているか、
コミュニケーション総量に対する価値観、などは本当に個体差がある。

(例えば私の場合、
好きな人とのコミュニケーションは多ければ多いほどよいし、
ポジ/ネガ問わず、考えていることの端緒に触れたいと思う。
言語によるコミュニケーションを好む一方で、それ以外の方法で
「察する」「感じる」という要素による瞬間もある。
こうやってみると理想ばかりの夢見少女感しかない)

 

コミュニケーションと礼節

また、礼節に関する価値観なども人それぞれ。


挨拶に重きを置かない人もいれば、

cakes.mu


初対面における礼節を重要視する人もいる。

www.bgfs.com


ここがまずフィットしないと、うまくいかない。

 

例えば、初対面から距離を詰めてくる人がいる。
(合コン、などではそういうことが起こりやすいのだろうか?)
初対面の人間を馬鹿にしているような言動は到底首肯されるべきではない・・・
と私は考える。これも価値観のうちのひとつで、繰り返すが、それは良し悪しではない。

 

UCDという思想

そして、これも一種の能力だが、UCDな会話ができるかも肝要だ。
※UCD=User Centered Design、相手中心に設計するという思想のこと

(もちろんトピックによってそうなりやすい/なりにくいはあるが)
相手の話を聞かずに自分のしたい話だけをする人と、
相手の話を汲み取ってコミュニケーションパスをしたい人は、
交わるとあまりいいことはない。

 

以上、見ていくとわかるように、
個人が持っているコミュニケーションの特性に対して、
フィットするのかどうか、というのは何にも勝る重要な要素である。

 

②そのコミュニケーションが前向きであること

 

上記ではコミュニケーション様式の整合性について話したが、
それだけではなく、コミュニケーションに臨むスタンスは、
(フェーズ感の差でもあるかもしれないが)前向きであれるのが良いと思う。

相手を許し、認め、物事を前に前進させようと思えること。
それがあることで初めて、コミュニケーションが心地よいだけでなく、
ある方向性を目指した合理性の高い関係性になるだろう。

 

前向きなコミュニケーションって、意外と難しい。
友達にでも、ぐちは言えるが、夢を語るのはより難しい。

(しかし、こと付き合う、一緒にいるという段になると、
基本スタンスが前向きでないと、
メンヘラ共依存からの突然崩壊シナリオか、
玉川上水でともに心中シナリオのどちらかになる)

 

③最後に大事なのは「祈り」

 

ここまで、特にコミュニケーションに関して書いてきたが、
結局最後に大事なのは「ここにいる相手は所詮他人である」
という前提の中で、いかに相手の幸せを祈れるか、
ということになる。(前提部分に戻ってきている感もあるが・・・)

それは他人への期待値などを超えた、ある種の「祈り」のような境地で、
そこに到れる、と思える関係性であるのであれば、
その関係性は一生涯続くものとなるのだろうと思う。

 

最後に

こと異性同士の関係とは、相補的なものなのであると思う。

男によって女は輝き、女によって男は戦える。
これを共依存と捉えるのではなく、いい循環と捉えたい。

そう言い合える人と一緒にいられる人生を目指し、
精進していこうと思う。

 

 

追記

因みにこれは良記事なので全人類的に読んだほうが良いと思います。

ameblo.jp