コスプレでコンサルやってますけど

社内でポエマーと揶揄されるけど、コンサルタントをやっています。社会人4年目くろえの脳内あれこれ。

どう森ブームに、思うこと。(その2)~ 流動性の高い社会をしあわせに生きる方法

こんばんは。
再び現れました、くろえです。


さて、先程の記事では、SNS上でのシェアによって
どう森が流行していることを実感した、
というお話をしました。

(→以前の記事はこちら:どう森ブームに、思うこと。(その1)~ SNSの影響の大きさを実感した話 - コスプレでコンサルやってますけど

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今回は、この続きのお話をしようと思います。

 

情報過多の世の中で、何を追い、何を知るのが幸せなのか

 

私たちはスマホを手にしたことによって、
圧倒的に情報過多な社会を生きていくことになった。

グローバル化・デジタル化のなかで匿名性が高まり、
個々の人格が次々と代替可能なものに見えるような世の中で、
新しいムーブメントの波にのることでなんとか息をしている。

上記の例もわかりやすく、SNSで拡散した情報が
消費者の行動に伝播していく例として捉えることが出来るだろう。

 

そんな時代のなかで、私たちは時代の波を捉えていることに安心し、
またどこかで、周囲からの影響を受けることに辟易としている。

自我なんて本来的には存在していない、とも思える社会のなかで、
自我を追求しろなんて言われてもよくわからないし、
とはいえ周りに合わせて踊り続けるのは難しすぎる。

 

自分とよく似た属性の個体を集めたところで泳ぐのは比較的容易だが、
だからといって外部環境を見ずして狭い世界で踊り続けていると、
そこにあるのは疲弊と空虚と、茹でガエルになった自分自身だ。

 

じゃあ、どうすれば、「自分」を守りつつ、疲弊せずに生きられるのだろうか。

 

分かって踊る、そして都度達観するという姿勢

 

ここで大事なのは、「主観的満足度を高めること」ただ1つだ。

だって、社会は高めるゲージの尺度すら与えてくれないから。
いい会社だって変わるし、貨幣の価値すら国家に振り回されるし。

とすると、数少なくわかっているのは、
「どうせ踊るなら真剣に!」ということだけだ。
(やりきった感、充実感などの主観的満足が大事、というところから)

 

ただ、流れの早い現代社会においては、
「何を踊るのか?」ということすら問わざるを得なくなる。

とすると、

  • 「踊るものを決める」
  • 「短く(若干狂気的に)踊る」
  • 「短いスパンで(その結果を)振り返る」
  • 「次に踊るものを探す」

というスパイラルをこまめに回すことこそが、
茹でガエル的状況を避けながら楽しく生きるコツなのではなかろうか。

(これ、書いてみてビッチ的だなと思ってドン引きしたけど、
こういうことをしないといけない社会なんだろうな・・・とも思う)
(因みに、家族という血縁に伴う仲間の概念については、
この限りでない、という内容の記事はいつか書く・・・いつか)

 

ずっと何かをしなくてはならないという強迫観念の時代の終焉を、自分にとって良いものとするために

 

社会の変化が早くなったことに伴って、
ますます「ひとつのもの、こと、ひと」に拘泥する必然性がなくなってきている。

そのことは事実ではありつつ、どうせ流されていくのであれば
しなやかに、自分の意に反しない方法で流されていきたい。

そのためにはどうすればいいのか。

  • 何を頼りに決めていくのか、という情報ソースの精度を高める
  • 自分自身のなかの「譲れないこと」の精度を高める

この2つは、主観的満足度を高めて生きるために
ほんとうに必要なことだと思う。

つまるところ、

  • 信頼出来るものをちゃんと自分の近く、もしくは自分の中に持ちましょうね
  • 社会に阿るより、自分を参照したほうが、たぶんミスっても後悔ないよ! 

ということなんだけど。

逆に言えば、それさえ心に決めてれば、あとはどうにでもなるかなと思ったりする。

 

まとまりないけど、もっと具体的なことについては
年末の振り返り記事あたりで書こうと思います。

 

以上、言ってることに驚くほど説得力がないくらい腰が重く、
変化を好まず茹でガエル化していることに定評のあるくろえでした!

どう森ブームに、思うこと。(その1)~ SNSの影響の大きさを実感した話

皆さんこんばんは、くろえです。

結局月イチ更新やないかーい!というセルフつっこみはともかく
少しお久しぶりになってしまいました。

昨日、約1ヶ月間取り組んできた調査案件が終了し、
なんとか形にすることができほっと安堵しているところですが、
早速その内容とデジャブになるようなニュースを目にしたので、
これについての雑感を書こうと思います。

プロジェクトで私が主張したこと

 

今回は、未来のマーケティング戦略立案のような案件。
(細かい内容は書かないが)主に以下の様なことを主張してきた。

  • 利用調査から、現在の都市でのスマホの利用方法は、地方と大きく異なっている
  • 今後の社会においては、スマホにマインドシェアをかなり奪われた都市型のライフスタイルが(地方を含めて)加速していく
  • スマホも使いようによっては便利な道具だが、現代のグローバル化・デジタル化の流れの中では、麻薬のような作用をする可能性が高い

まあ内容自体はごくごく一般的な2050論的なものですね。

 

プロジェクト終了日に起こったこと 

 

ここまで全く題名と関係なかったのですが、
昨日PJT終了し、インスタ廃人に回帰した私の目につくのは
このたぐいの情報ばかり。

「どう森 アプリ」の画像検索結果

 

わたしのインスタ界隈はまだ大学生だったりもするのだが、
学生~新入社員界隈を中心に、ID登録画面を喜々として
ストーリーに晒していた(11/22段階=サービス開始2日目)。

なんだこれは。どうぶつの森か?

 

記憶をたどると、流し見していたが、どうやらこういうのがあったらしい。

 

jp.techcrunch.com

 

確かにYahoo!ニュースの一覧やLINEニュースでは見た気がする。
でも実際にその出来事を認識したのは、インスタを見てからだ。
流石にこれだけたくさんの人が喜々として登録しているのを見ると、
なるほど少し始めたくなってしまう気持ちもわかる。

 

SNSによって体験のきっかけが変わった?

 

つまり、上記の自分の体験を見るに
「自分ごと化」され検討が始まったのは、
LINEニュースのローンチのタイミングではなく、
SNS上での反響を見てからなのだろう。

それだけ我々はSNS上の情報に感化されやすいし、
逆に普段接している情報は量が多すぎて、多くのものを
ザッピングしては流し見している、ということが、
自分で検証していたことなのに、今更強く実感された。

 

たまにプロジェクトが楽しいと思うときは、こういう実感があるとき。

 

でまあ、ここから先は完全に個人の雑感ではあるのだが、
私はtoCに近い領域の仕事のときのほうが楽しいし、
それはなんで楽しいのかというと、
自分の発見したことや実感したことが
ユーザ、いち消費者として実感される瞬間が多いからなんだなと。

こういう感覚を忘れないように、
どういう仕事をしていくのかについても、考えていきたいなと思った。

 

考察記事はその2で更新します。
それでは、あでぃおうす。

 

追記

 

いまTwitterのTLを眺めてたら
「もうどう森飽きた」と言ってる人が複数人いて、
もちろんゲームは複数回のリピーターを獲得するのは
難しいということはわかりつつも、
あっという間に「トレンド」として消費されて
ものすごい勢いで飽きられていくんだなあ、と
少し寂しい気持ちになりました。

(もちろんゲーム会社はそれも分かってて、
それでも一部のロイヤルユーザを作るべく
色々尽力しているのだろうと思うけど・・・)

ブログを再開します

 お久しぶりです。
約2ヶ月ぶりの登場、くろえです。

 

わたしの近況

 

さてこの消えていた2ヶ月間の近況はと申しますと、

  • 9月にデリバリ案件3件、残業時間3桁を越え、耳鳴り・難聴・頭痛・腹痛などの諸症状を訴えつつなんとか乗り越える(お客さんがイケメン+思い入れのある方ばかりだった)(仕事は良い仕事だし、職場も居心地良いし、上司も良い人です、念のため)
  • 10月に1年以上ぶりに上司が変わり、モラハラ系同性上司(優しく聡明な人だったけどタイミングが悪かっただけ)のもと精神崩壊し泣きながら心療内科に駆け込むも予約でいっぱいとのことで受診を頓挫
  • プロジェクト終盤でアラートを上げた(+様子をどこからか知った毒親が社長に直接連絡して勝手に我が子を休職させようとするという暴挙に出た←これが病巣という説もある)結果、10月後半からは無事に上司と平穏な日々を取り戻した
  • しかし後遺症なのか、燃え尽き症候群なのか、世界から色が消えてしまって戻ってこない(朝起きてもすっきりしない、夕焼けを見ても感動しない、感情の起伏がないなど)
  • 会社との付き合い方がわからなくなり、(特に会社の)人と話すのが怖くなり、毎日マスク装備で会社に行くように

 

という感じです!でも元気です!笑

 

ブログを再開しようと思った理由

 

この2ヶ月間に仕事・人間関係・外部環境などでいろいろな変化が自分に起こって、
自分自身初めて身体に異変をきたしたりもしていろいろなことを考えて、
この間に価値観や人生観、異性観が大きく変わってきたものの、
ブログを書く気力が起こらずここまできてしまいました。

 

ブログは義務感というよりは突発性の受け皿として認識していたけど、
このままほうっておくと、本当に文字を紡げなくなってしまう気がして。

自分の中から文字が湧いてくるにまかせていると、
もう二度と文字を紡がなくなってしまうような気がしたから。

とにかく、書かないとどうしようもない感じもあるので、
これから少しずつ復活していこうと思います。

 

有事に読む本

 

これに際して、友人に勧められた本


こちらも読んでいこうと思います。

 

それから最後に、最近感銘を受けた本を紹介して本日はお開き。
(Book and Bed Tokyo ASAKUSA行った!この話もいずれ・・・)

これはやばいです。
読みながら大泣きしました。


なんとなく心が健康じゃない感じの人、
心に靄がかかったような感覚を覚えたことがある人、
周りに支えてあげたい人がいる人、
是非読んでみてください。

 

noteでも読めます↓

note.mu

とてもいい本です。

 

それでは今日も、生きていきましょう。

 

追記

 

時を同じくしてブログを更新した我が親友ずりたんのエントリが
私のそれと真逆で面白かったので紹介しておきます。

blog.livedoor.jp

彼女のような状態と、私みたいな状態を、人間は振り子のように行き来するのだろうか。

女の子をしながら、生きていく方法。

 

皆さんこんにちは。

仕事が詰んでいるのは相変わらずなのですが、
感情が高ぶっているので、いったん記事を書こうと思います。

 

仕事は自分の本性を表しているのか、という疑問と危機感

 

エモいことが好きだ。

きらきらした風景、人物、食べ物、文章、
かわいい子、かわいい小物、シンプルな余白への想像、
ぎゅっと抱きしめる瞬間、他人からの微かな好意への想像、
金曜日の夜の駅の哀愁、日曜夕方の物憂げな町並みが好き。

 

関連画像

 

いまの私は、ビジネスニーズに応じて、これ以上なく左脳的な労働をしている。
(「儲かる」に寄りすぎているわけではないが、左脳的な頭は使う)
多分きっと、自分にない部分を補おうとして、こういうことをしている。

 

それでも時々思ってしまうのは、
自分の本性を逸脱したところで生き続けているがゆえに
そういうエモいことへの感度が下がっているのではないか、ということ。

 

エモいことをよりエモく感じたり表現したりするためには、
そうじゃない世界も知って、その作法を身に着けておこう、と思っていたのに、
今では次第にその主従が逆転しているように感じる。

 

昔から、仕事からの現実逃避の際にたびたび考えてきたことだが、
ニコニコ、キラキラしながら人を愛おしむことでお金が貰えれば、
どんなに良いだろうか・・・と想像することがある。
(かつてのパズル教室とかは、それに該当するような気もする)

 

昨晩見た光景に、今ない自分を見た。

 

昨晩は箱根に弾丸旅行をしていたのだが、その帰り道、
親友が表参道で開いているライブを聞きに行った。

「goodBLUE」
2017/8/27 Sun.
@表参道NOSE ART GARAGE
18:30 OPEN 19:00 START

 

私の親友の歌う姿は、なにより私の心を晴れやかに、明るくするものだったが、
共演している演者さん(前から聞いて、好き!って思っていたわけだが)の曲を聞き、
色々と考えるきっかけを得た。

 

HOME - yuyukonbu0206 ページ!

YUYUKOさん、という方。

 

「きらきらしている」「透き通っている」という言葉が似合う、とても素敵な女性。
曲調は少し物憂げで、でも明るくて、
声のトーンは無邪気で天真爛漫で透き通っていて丁寧でそれでいて乱暴でもある。
aikoさんを全体的に可愛くしたようなイメージ・・・?)

 

私はこのアーティストに、女性に、心射抜かれてしまった。
こんなにいやらしくなく可愛らしい人がいるのか、と。

歌っているYUYUKOさんはとてもかわいかったし、キラキラしていたし、
息遣いまで飲み込んでしまいたいくらいに強く惹かれている自分がいた。

それと同時に、自分の中の「女の子」を探してしまった。
最近わたしはどこかで「女の子」をしているだろうか。

 

「女の子をする」とは何か

 

「女の子をする」とは何か。

  • 自分の中に内在的に存在する「可愛い」ものへの欲求

(例:「可愛い服を着たい」、「可愛いものに囲まれていたい」、「気の向くままに可愛いもの、きれいなもの、好きなものを探したい」、)

  • また、それらを通じた自分自身への「可愛さ」への欲求

(例:「可愛くありたい」、「キラキラしていたい」、「素敵なものを追求する自分でありたい」)
であると考える。

 

「女の子をできる」のは、ごく限られた場所。

 

上記のような欲望は、女子たるもの、女性のなかでも持っている人は少なくないと思う。


しかし、それを発露できる機会の有無については、また別の話であると考える。

「女の子をする」という行為は、「それを眼差す人の存在」によって初めて成立する
と言っても過言ではないのではなかろうか。

 

結局はその行為を
「見守ってほしい」、「天真爛漫さを受け入れてほしい」、「いざなわれてほしい」
という欲求が前提としてあり、それが満たされて初めて、
安心して「女の子をできる」のではないか。

 

「女の子である」ということは、自らが自らをラベリングする行為だけではなく、
他者から「女の子である」という眼差しによって成立するものだから。

 

女の子であることは、クローズドな行為なのか

 

ここで、女の子らしさを表出する方法を考えると、
まず最初に、大勢に見せるものではなく、安心感を前提とした
一部の人間への女の子らしさの吐露が想起される。

 

どちらかといえば、大事な大事な人にだけ見せるもの。
安心感のなかで、女子らしい甘ったるさを表出していいのは、
ごくごく限られた文脈だろう。
(だからこそ、「女の子でいさせてくれる」人がいる女子は、強いと思う。)

 

「女の子をして、生きていく」方法

 

でも、それだけではなく、外向きにもキラキラしている人もいる。

先に述べたYUYUKOさんは、まさにそれをぎゅっと濃縮還元したような人だった。
きらきらした笑顔が素敵で、まぶしかった。

大勢に向けて、どこか無防備に、どうしようもなく魅力的に自己を表現して、
それがどうしようもなく愛おしい。

 

女性が歌ったり踊ったり、何かを表現しているときに見える姿は可愛く美しい。
特にこのYUYUKOさんは、女の子だからこそ出来る「天真爛漫で愛おしい」を地で行っている人だった。

 

つまり、「女の子をする」ことは基本的には内向きな行為であるが、
生きることを構成する大事な要素としてそれを据えている人もいて、
そうすると外向きに自分の魅力を発信していたりして、
(=女の子なら「女の子をすること」)
そういう人はどうしようもなく魅力的に見える、ということなのだろう。

タイトルにもした「女の子をして、生きていく」、ということだが
自分の人生の構成要素のなかで、「女の子である」ことを大きくしていく、
それこそが「女の子をして、生きていく」ということなのではないだろうか。

 

私にはそれができるだろうか?

 

残念な話、私はそれ(=「広く、女の子であること」)向きではないような気もする。

リズム感覚はどこかおかしい、そのくせ聴覚過敏で音には神経質、
歌が特別上手なわけでもない(絶対音感はあるので音痴ではないが)。

 

そういうのでお金を稼ぐのは難しいだろうけど、
しいて言えば、結局私にあるのは文章なんだろうなと思った。

 

 「読書 女性 フリー素材 写真」の画像検索結果

 

もちろん、身体表現も豊かであればいいなって思うし、
歌だってちょっとくらいうまく歌えるようになりたいし、
バレエもゆくゆくは踊る方に復帰できればよいし、
テニスだって美しくする方法はあると信じているけど、

やっぱり私が「いちばん好き」で「いつでも、どこでも、きっとずっと出来」て、
一番自分とつながっているのは、やっぱり文章を書くことだなと思う。

 

私はコンサルだし、整理・構造化もするし、タスク厨だけど、
でも、やっぱり本音で言えばどこかで「女の子」でありたい。

大量の仕事や婚活沼に疲れきって愚痴を垂れるOLではなく、
勿論最終的な責任は取るぞという強さを持っていながらも、
それでも、どこか甘くて、甘やかされてて、気まぐれで、
天真爛漫で、明るくて、きらきらしている人でありたい。

それを男の前でできればそれはそれで幸せだけど、
そうでなくてもどこかでキラキラする場所があってほしい。 

お金を稼ぐ、というのは無理にせよ、
私には文章がある。(それしか出来ない、というのが近いわけだが・・・)
だからそれを頑張りたい。

そういうことをやって悶々としたりしながら、
ずっと生きていたい。

そう思った、週末でした。

 

参考URL

 

学生時代の親友

twitter.com


ひとめぼれした人

twitter.com

どちらもとても素敵な女性アーティストさんなので、
ライブとか音源とか是非聞きに行ってみてください。

 

それではあでぃおす。すっきりしたので、仕事します。

【恋愛小噺 その6】男女間の友情は成立するのか

明後日報告会からの納品という
かなりアレな状況にも関わらず、
考えたい欲求が高まってしまったので、
ブログを書こうと思いたちました。

 

今回のテーマは
「男女間の友情は成立するのか」。

 

なぜ時間もなく体力もない中このテーマ設定なのか。
自分を疑うことしか出来ないのですが、
「持続可能性」などという言葉をかなぐり捨ててるので、
ランナーズハイモードですがお付き合いくださいませ。

 

男女間の友情は成立するのか

「男女 友達 フリー素材 写真」の画像検索結果 

 

私は

「成立し得るが、ごく限られた文脈・状況において
不断の努力もしくは妥協、我慢が行われた結果爆誕するものである」

と思っている。

 

以下にその理由を記していこうと思う。

 

※ただし、これはあくまで男性からのニーズに関する女性筆者の想像であり、
本来的にどうかは是非ご意見を頂戴したいところ。

 

 

【前提】男性は何故わざわざ女性と関わるのか

 

いきなりで恐縮だが、私は反フェミニストだ。
暴論かも知れないが、
統計によれば男性の方が年収が女性の倍近くあるのは事実だし、
東大や京大、東工大は男だらけだ。

【最新版】年代別平均年収を発表! 男女差、企業規模別、業種別ランキング|「マイナビウーマン」


ポテンシャルはどうであれ、現代社会においては男性の方が
総合的に知力・体力など、社会を渡っていくための能力には
優れていると思っている、というのが前提。

 

で、もし実際に男性の方が能力高いかつ稼ぐとして、
また、もし人との交わりに何らか「実益」を求めるとして、
なんで男性はわざわざ女性と交わるんだろう?と思う。

 

(これもまた暴論なのは承知だが、)女性の方が非合理的だったり、
脳の構造や思考のプロセスが異なる生き物であるがゆえに
分からない部分がたくさんあるはずなのに。

(そもそも異なるものとの交わりは、
人に対して多かれ少なかれストレスを与えるもののはずなのに。)

 

それに対する答えをすごく乱暴に言うと、
「社会的実利以外の効用」なのだと思う。
例えば、ぬくもり(身体的なものでも、精神的なものでも)・庇護(被母性)・恋愛・性交のようなものだ。

 

 

やっぱり男女の友情って成立しにくそう

 

というよりは、到達しにくい、というのに近いと思う。

男性側から見たときに、女性との関係性のなかでメリットが大きいものは、
上記のものの方が想起しやすい。

だとすると、そうでない上記の例以外のものを求める関係性はありえるのだろうか。

それを手に入れられない(先にそれらが獲得できる可能性のない)
「異性との友情関係」というものは成立し難い(より崇高とでも言おうか)気がする。

 

※友情=扇情的な/性的な感情を抜きに、相手を想える関係性と定義する。
※更に補足。Wikipedia氏によると
「友情(ゆうじょう)は、共感や信頼の情を抱き合って互いを肯定し合う人間関係、もしくはそういった感情のこと。友達同士の間に生まれる情愛のこと。」とのこと

 

 

男女間の友情の成立条件

 

成立するのは結構難しそうということは分かるが、
では、どういう条件下なら成立するのだろうか。

 

まず想起されるのは、当たり前の話だが、
「恋愛対象ではない」ということだ。
これを噛み砕いて考えると、以下のことが考えられる。

 

  • どちらか、もしくは双方に付き合っている人や好きな人が他におり、恋愛対象とみなせない状態
  • 恋愛というのを性的感情と捉えるのであれば、そういう感情が備わっていない人
  • 異性が性的対象にならない同士

などだろうか。

また、友情が成立しているということは、
双方に相手の心地よい距離感を守っている状態、とも言えそうだ。

(双方ならまだ良いが、どちらかのみが恋愛対象とみなせない状態の場合、より難しそうなわけだが・・・)

 

 

男女の関係性にはどんなものがあるんだろう

 

以上のように、男女の間の友情は、
「性的関係/恋愛関係を廃した双方向での思い合い」ということになる。

 

では、男女の関係性にはどのようなものがあるのだろうか。

  • 性的関係を伴う関係(セフレなど)
  • 恋愛感情を伴う関係(カップル)
    ---
  • 仕事上の契約関係に関連する関係(同僚・上司・部下など)
    ※特定の領域における目的を共有した関係(趣味仲間など)はこれに近い?
  • 婚姻上の契約関係に関連する関係(夫婦)
    ---
  • 親子
  • 兄弟(予測変換で「京大」と出てきたあたりに社会の闇を感じますね)

 

上記から外れた、一種の主観的合理性を逸脱したところにあるのが
「友情」という感じになる、ということなのだろうか。

 

(特に趣味に関しては、何が目的なのかが
人によって様々なので(出会い厨もいる)、一概には言えないわけだが・・・)

 

男女の友情があると言えるあなたに

 

上記をまとめると、異性間での関係性は
基本的に性的な扇情や引き寄せが基本で、
それ以外が仕事などの契約関係もしくは
友情というか紐帯(愛情)だという感じの心象風景。

(憧れの対象、などはそもそも関係性ではなく
一方通行なので、考えないものとする)

 

異性間において(仕事などの契約関係以外で)性的なもの以外を築けるのは
ほぼ限られた人との間でしか成立しないように見える。

 

「関係を深めない理性」(=相手が望む距離感を保つ)や、
見返りを求めずに、ただ、ただ、相手を(人間的に)好きでいられる胆力
などが揃っている場合においてのみ成り立ち得るのだと思う。

それが成立していると思っている人は、多分だいぶ幸せなので、
どうしてそれが成立しているのか、再考してみてもらえるといいと思う。

 

因みに、私は特に異性の友達は殆どいないわけだが、
やっぱりお互い好きな人や付き合っている人がいる
という場合においてじゃないと友情は成立しない気がしますね。

 

(次の記事を書くために押し出した記事なので、
つぎ!つぎ!つぎいこう!)

 

最後に

 

DJあおい先生のありがたいお言葉でしめます。

djaoi.blog.jp

『友情』というものは
その人の言動を拘束する鎖ではありません
お互いの自由を尊重できる関係が友情なのです

くうう・・・!!!

ではあでぃおす!!!おやすみ!!!

私にとっての夏休みと、この夏を機にやりたいこと。

 

夏休みなう。
というわけで、先日金曜日から、弊社は夏休みに突入した。

*** 

正直、夏休みの前は、いつも私は途方に暮れる。

普段の平日は目の前にある仕事をウンウン唸りながら何とかこなし、
休日はそれ以外の自分のしたいこと、やらなきゃいけないことを片付ける。

しかし夏休みになると突然長い休みを言い渡される。

 

人生においてやりたいことがあまりないかつ、
休みの日まで(まして大好き上司様のいない)
仕事場に行くのは何となくプライドが許さないかつ、
家にいるのが嫌いな自分にとって、試練のときが訪れる。

 

これまでの夏休み

 

これまでは正直、そのとき付き合っている殿方に
夏の時間を旅行するなどして良きように
埋めてもらっていた(気がする)。


(上記だと至極言い方に語弊があるようにも思うが、
実際のところは「好きな人との紐帯を深めるために夏の時間を利用していた」
と表現のほうが適切かもしれない)

 

今年の夏

 

しかし、この夏はそういうことが一切ない。

これまで「彼氏」と公言できる人が、(ましてこの時期に)
いないことはなかったから、余計に狼狽した。

※夏は誕生日でもあることから、
余計に意識して人といるようにしていた
・・・ということなのかもしれない。

 

いつもやんわり遊んでくれている人も、今年はどことなくつれない。
密かに萌えしだいている人も、日本ではないどこかに消えていった。
女友達はだいたい、収まるべきところに収まっている。

その所在なさたるや。

 

というわけで、
この夏はいよいよもって自分の中にあるものとちゃんと向き合い、
それを表に出す取り組みに着手するべきタイミングかと思っている。

 

20日までの一週間は、そういうことに少しずつ取り組んでいきたい。

 

上司様と約束したこと

 

毎年、親愛なる上司氏と夏の目標を(一応)立てる。

この夏は「具現化しよう!」ということになった。

※経緯としては、私が画面設計を始めとした
具現化フェーズを極度に苦手にしており、

・とっかかりが遅い
・なかなかPDCAが回らない
・仕事に対するやる気が減退する
・ますますやらない
・一朝一夕にどうにかしようとするがそういうものでもない

などの課題を持っていることが所以と考えられる。

 

これはつまり「思考した何かが吐き出される」
ということに対して、よりは、
「他人が見ても大丈夫なくらい、表に出せる何らかのブツ」
が出来てくることを期待されているのだろうと思う。

 

・・・ということなので、まず明日からは
「具現化とは何か」というところから考えていることを書き連ねようと思う。

直観的には、
「仕事でもいい、それ以外でもいい、
何か自分の中で腑に落ちるものを世に出せたら最高だ」
と思っているように思う。

しかし、この心理的障壁の大きさはなんだろう。

まずはその心の動きや心持ちが
どういうことを意味しているのか、考えてみることとする。

 

自分と約束したこと

 

以前にも書いていたし、顔本のお誕生日投稿にも記したことだが、
私は「自分自身が読書と距離があること」が大きなコンプレックスである。

本に没入したことは今までにない。
本に感動を覚えたこと?ましてない。
(ウェブ記事とかならあるわけだが)

 

長い論理構成や主張を咀嚼する力がない、という話以上に、
壮大な物語への想像力が欠如していたり、
ダイナミズムをもって進行する物語を俯瞰できない、
そもそも即座に利益になるものしか興味を持てない、

・・・など、自分の狭量さや浅学さなど、全てのコンプレックスの端緒に
「自らの読書体験の貧しさ」が影響していると考えている。

 

なので、この夏は、半ば無理矢理にでも
本と接触する機会を増やそうと思っている。

・1日1冊読破
※ただし漫画は含まない。短編集や小説はOK

以上のルールを運用していければと思っている。

 

終わりに

 

この夏が終わったとき、
「振り返れば、何かいいことや示唆が得られた」
という状態になっていればいいな、と思う。

毎年同様(どちらかと言えば私的な用事で)
忙しくすることは規定事項なのだけれど、
そのなかでも、少しずつ自らにとって心地よく、さらに言えば
自己を承認してあげられるような習慣づけを
少しずつやっていけるような、その端緒としたい。

 

それでは。あでぃおす!

~夜間の水上温泉より、愛をこめて~

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【備忘録2】ゆず好きな歌ランキング!愛が高じて50位~100位もつけてみた

皆さんこんにちは。

この前のランキング、どうしても漏れがあるだろうと思ったので、
今度は50位~100位について書こうと思います。

どれも捨てがたすぎる。
自分的ゆず大好きランキング、第2弾です。

blog.livedoor.jp

ご笑覧ください。

 

91位~100位

 

91位 シュミのハバ
92位 空模様
93位 恋の歌謡日
94位 ポケット
95位 いちご
96位 一っ端
97位 昨日の俺は俺にあらず
98位 ソウロウ
99位 ダスティンホフマン
100位 桜道2

 

81位~90位

 

81位 冷めたコーヒー
82位 カナブン
83位 青
84位 新しい朝
85位 みらい
86位 つぶやき
87位 ムラサキ色
88位 二つの言葉
89位 スーパーマン
90位 君は東京
 

71位~80位

 

71位 待ちぼうけ
72位 終わらない映画
73位 ぼんやり光の城
74位 四時五分
75位 心の音
76位 ねこじゃらし
77位 言えずのアイ・ライク・ユー
78位 ルルル
79位 手暗がりの下
80位 嗚呼、青春の日々

 

61位~70位

 

61位 てっぺん
62位 うまく言えない
63位 灰皿の上から
64位 使い捨て世代
65位 フラリ
66位 ウソっぱち
67位 人生芸無
68位 幸せの扉
69位 葉月の雨
70位 いつか
 

51位~60位

 

51位 みぞれ雪
52位 オーバー
53位 凸凹
54位 境界線
55位 未練歌
56位 眼差し
57位 グッドモーニング
58位 風吹く町
59位 おやすみ
60位 日だまりにて

 

というわけで、栄えある?51位は
大好きな「みぞれ雪」とさせていただきました。

 

今週もお疲れ様でした!
徹夜明けで頭がおかしくなっているくろえでした。

良き夏休みを。