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コスプレでコンサルやってますけど

立派なコンサル・・・のはずなのに社内ではポエマーと揶揄される、社会人4年目くろえの脳内あれこれを残していきます

ゆずのライブに行って、一生彼等と添い遂げようと思った話。 (20th Anniversary DOME TOUR 2017 ゆずイロハ@東京ドーム 2017年5月21日(日))

第二弾です。今回は、感想を。
まとまらないけど、書いてみます。

ゆずイロハを通じて思ったこと

今回は、ゆずのライブ、ひいてはゆずとの向き合い方に
大きな変化が生まれたライブだったように感じます。

その理由は、ゆず自身の変化、自分自身の変化、
どちらもあるように思います。

 

ゆず自身の変化

最後のMCでの悠仁の言葉。

最も印象的だったのは、

悠仁「いつもくそったれって・・・ゆずをやってて一番くそったれって思うのは・・・
あんときはよかった・・・って言われるのが一番くやしいです。そう思ってほしくない。
みんなに今が一番最高だって思ってほしくて、こうして20年歩んできました。
ゆずのファンでよかったって思えるように俺たちは走り続けるからこれからもついてこいよ。」

これですね。

これはゆずの苦悩なんだろうな、と胸が傷んだ。

 

ゆずのファンは先述の通り古参が多く、
その「栄光の時代」もまた、過去であることが多い。

人間が過去を懐古する生き物なのだとすれば、
前進しようとするゆずと、その前進についていけない者、
その歪みや摩擦が起こるのは避けられないからだ。

 

その違和感は、いつもゆずがアルバムを出すたび、
ライブをやるたび、誰も口には出さないが、
少しずつ心にかかえていたところだったのだろうと思う。

だから、それが言葉になって出てきたのは、
私にとってはすごく好感が持てる部分だった。

 

自分自身の変化

そして、その後心にしみたのはここ。

悠仁「俺たちの曲がみんなの心のそばに寄り添えてたらいいなっておこがましいけど思っていて、
そして時々、みんなからのメッセージをみると寄り添えてるとも思えます。
そしてなにより、みんなも俺たちの曲を愛してくれて、寄り添ってくれてるんだなって思います。
本当に本当にいつもありがとうございます。」

 

提供者目線でなく、相互依存関係のような関係。

今までのゆずのライブは、
ゆずというフィルターを通して、
自分の人生を見つめ直すいとなみだった。

毎回、自分の過去を引き出し、
今の自分の反応を観測し、自分の変化を冷静に見る、
という機会にしていたのが正直なところだ。

ここにおいて、「ゆずへの愛」は優先度が下がる。

自分のことばかりだったのだ。

ここで私ははっとした。

私自身がこれからはゆずというフォークデュオバンドに対して
寄り添い、相互に感情を共有できるような存在に見えたのだ(おこがましながら)。

猛烈に愛おしい、憧れのアーティストではなく、
等身大の2人の人間として、心の底から彼等を応援し、
一生寄り添っていきたい、と思ったのであった。

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そういうわけで、私は次のライブをとても楽しみにしている。

愛だなあ、という曖昧な感想を残し、お客さん先に向かうことにしよう。

【セトリ/レポ】20th Anniversary DOME TOUR 2017 ゆずイロハ@東京ドーム 2017年5月21日(日)【その1】

ゆずのライブは、もう何回目になるだろうか。
ライブに行くようになり、ファンクラブに入って、
収録から大きなライブまで、無思考課金を繰り返してきた。


未発表曲までラジオ音源を漁りきり、
いわゆる「古参懐古厨」として、ゆずと向き合い続けてきた。

 

ライブに行くたびに自分と向き合う機会としていたが、
今回は少し様子が違ったようだったので、記載しておく。

 

まずはセトリと簡単な感想から。

 

~準備運動~

0:ラジオ体操第一

ゆずガチャと一連のお土産類を買って入場。

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因みに「ゆずのね」が出ました。

今回は1階スタンドの7列目。
席運はいつもいいと感じるほどの良席。

ラジオ体操も、ドームだと壮観。

 

~弾き語り~

1:贈る詩
2:サヨナラバス
3:春風
4:いつか
5:月曜日の週末
6:青

 

おふたりはバイクで登場。

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こ、この距離ですよ・・・!?
ゆずが、否、岩沢が、近すぎて死ぬ。

口を開けば「はあああ・・・やばい・・・尊い・・・」しか出てこない。

 

まずは安定の弾き語りパート。
「ああ、ライブに来たな」としみじみと感じる。

贈る詩で始まるのは斬新なのでは?そうでもない?
どんな曲で始まっても、最初は違和感ないけど、
今回は泣き曲で入らなかったのが印象的でした。

サヨナラバスで初回の号泣。
思い出を積みすぎているのと、MVを思い出しながら。
やっぱり君が好きなんだ」でぐぐぐっと心に来るものがありますね・・・

春風も引き続き号泣。
「言葉にすれば壊れそうです」
こんな大箱でそんな繊細な言葉をッ・・・

いつかはギターかっこよすぎて惚れ惚れ。
昔、二人で駐車場の車の中で、窓が白くなるまで歌ってたという思い出話を聞き、
彼等の青春に思いを馳せた石川町を思い出し、こちらも懐古モードに。

月曜日の週末は、たまたまライブ前に聞いていたので
余計にテンションの上昇が抑えられず・・・。

青もMVを思い出して、胸がキュッとなった。
ここまで懐古厨全開。

 

~恒例・会場アンケート~

会場アンケートは、やはり古参が多い印象。

ゆずのファンの客層は30代~40代女性が中心のイメージ。
もっと言えば、中高生時代のスクールカースト偏差値48~53くらいなイメージ。
イケイケのウェイではないけど、サブカルに傾倒するほどのヲタではない、みたいな。
(失礼かもしれないが、いってい的を射ていると思う)

(批評厨だけど布教者ではないので、それでいいと思ってます。ていうか私もだし)

 

バンド~

7:ヒカレ
8:イロトリドリ
9:表裏一体
10:桜会
11:アゲイン2
12:虹

 

ここで場所を移し、バンド体制へ。

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表裏一体はやっぱりかっこいいなーと。

それから、アゲイン2が聞けたのは嬉しかった。

「誰もがみんな一人ぼっちを抱きしめながら生きている」
ここで再びの泣きポイント。

(いやしかし踊ったり泣いたり飛んだりはねたり歌ったり、
今回のライブは忙しかった・・・)

 あと桜会ね。セットがきれいだった。

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~いつもの小ネタ~

 

モニターには2067年、ゆずの2人が90歳のシーンに。
岩沢厚治(90)のリアリティ。

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今回のライブ全体を通じて、
時を越えてゆずが提供できるものについて
すごく考えたんだろうなあ、という印象。

個人的には、2027年のエベレスト山頂ライブよりも、
2037年のゆず60歳で建設した総額35億円のゆず太郎ランドよりも、
2047年のゆず70歳での悠仁大統領、岩沢副大統領就任よりも、
90歳のゆずの所帯じみた感じが、現在の願望を投影しているんだろうなと感じた。

ゆず自身が描く未来の方向性も、こちらの方向に寄っている印象。
着実に、でも、美しく年を取っていきたいという意志なのかなと思いました。

(もちろん、自分の願望を投影している可能性も多分にある)

 

~メドレー~

13:20周年にちなんで20曲イロハメドレー
(with you-終わらない歌-飛べない鳥-友~旅立ちの時-よろこびのうた-REASON-超特急-うまく言えない-OLA!!-シシカバブー-センチメンタル-逢いたい-いちご-Yesterday and Tomorrow-Hey和-スマイル-恋の歌謡日-LOVE & PEACH-友達の唄-雨のち晴レルヤ)

 

メドレーは一長一短だけど、
聞けること自体が価値だったので、嬉しかった。

「飛べない鳥」の岩沢神高音で再び号泣し、
「REASON」からの「超特急」で惚れ惚れし、
「センチメンタル」で再び号泣し、
「いちご」のMVを思い出してほほえましい気持ちになり、
「恋の歌謡日」でムーチョ様にうっとりし、
「LOVE&PEACH」で爆踊りし、
「友達の唄」で心に平安が訪れ、
「雨のち晴レルヤ」で号泣。

全体的にメドレーの選曲は神ってたと思う。

もちろん収録曲から選んでいるんだろうけど、
欲を言えばどうしても「始発列車」が聞きたかった。。。笑

 

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~盛り上がりパート~

14:タッタ
15:夏色

 

今回は初めてタンバリンが参戦!
いつもゆずのライブに来ると「イマイチ盛り上がりきらない」
残尿感を心苦しく思っていたので、
今回の取り組みは非常に高評価。
きっちり盛り上がりきれた印象でした。

夏色はそりゃ当然ですね。
「もう一回」の嵐でしたね、3回やったのかな。
バカヤローからのどや顔も愛おしい。

ただし、このあたりで私自身が体力切れを感じる。
25歳、老けてきたのか・・・?

 

~アンコール~

16:カナリヤ
17:少年
18:栄光の架橋

 

ドームは周りの声が伝わりにくいのでどうかなと思ったけど、
今回の「贈る詩」

 

は結構主体的に頑張る席だったかなと思い、
個人的には満足感高め。きらきら~。

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カナリヤは真顔鑑賞。
ここのところのゆずの曲のなかではずしり、と重い物があるような気がして、
思わず聞き入ってしまうような、新しいタイプの曲。

 

少年は跳ね続けるだけの神曲
私の人生のコンセプトソングでもあるくらい大事な曲なので、
これが聞けただけでもライブの価値はあるなと思った。
「いくら背伸びをしてみても 相変わらず地球はじっくり回ってる
いま自分にできることを ひたすらに流されずにやってみよう」

 

~新曲発表~

で、新曲の発表。
EPが2本リリースされるとな。

 

4LOVE

謳おう

最後は栄光の架け橋で〆。

 

岩沢しゃま~~~~~

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熱い握手。

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今回も、じんわりあたたかい
とてもいいライブでした。

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感想は次の記事で書きます!

突然、パンが食べられなくなった

 

唐突だが、私をご存じの方はよく知っていると思うが、私はパン屋が大好きだ。
街に行くときは、食べログを検索し、順番にパン屋を巡る。
可能であればパン屋の店主と話し、雰囲気を堪能する。
パンを爆買いし、ひとつひとつのパンの評価をつける。

これが私の数少ない趣味・・・と言えるものの1つだった。 

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いや、好きだった、という表現が正確かもしれない。

 

異変が起きたのは4月ごろ。
最近パン屋に足が向かないなあ、と変に思っていた。

 

そして、待ちに待ったGW。街歩きすなわちパン屋巡りの捗る時期だ。

5月の初週、実家近くに新しいパン屋を見つけた。
とても可愛いパン屋だ。

・・・なのに。

パン屋を目の前にしても、入りたいと思えない。
いざパン屋に入っても、買いたいものがない。
入ってしまったからには、と買ってみるも、食べる気がおこらない。
仕方なしに口に運ぶも、今まで感じていたような、
心の奥底から沸き起こるような喜びは一切感じられない。

 

・・・どうしてしまったんだろう、私は。

少し前に「食物アレルギー」「グルテンフリー」についてよく調べたことがあった。
ジョコビッチなんかが本を書いていたアレだ。

ジョコビッチの生まれ変わる食事

なんでも、小麦(グルテン)と身体との相性が悪い人間が一定存在するらしい。
確かに、1日にパンを何個も食べた日には、少しお腹が痛むことはあった。

いやでも、多分、そういうものとは関係なく、
ぱたり、とパンが食べられなくなってしまったのだ。

 

・・・思い返せば昨日、久々に風呂上がりにアサヒスーパードライを飲んだが、
今まで感じていたような、心まで潤すような喜びがなくなっていた。

 

突然、何かが変わってしまったようだ。
麦が駄目なのか?

 

パン屋巡りを趣味の一環としていた。
これは街歩きと並んで私のライフワークになると思っていた。

ビールについても、好きでよく飲み比べをしていたし、
ビールフリークの集うビール女子会なるものの門をたたき、
ビールへの熱い思いを文字にし、見事抽選に当選したのは先週の話だ。
9月のビール検定も受けるつもりだった。

夢であって欲しい。夢じゃなくて何なのか。

 

・・・でも、それ以上に、
今まで大好きだったものが突然自分にとって心地よいものではなくなる、
という感覚に、喪失感以上に、ある種の恐怖を感じた。

自分が拠り所にしていたものが、失われていくなんて、思ってもいなかった。
まして、相手が選ぶのでないと思っていた食べ物で。

自分の自発性や意思によっていかようにもなるから、
食べ物が好きだったのだろう。

そういうわけで、これからどうすればいいのか、路頭に迷っている。
失ったのかもしれないものをどう穴埋めするか考えるのは、
まだまだ喪失感が大きくて難しい。
少しずつ、自分の欲や意思と向き合うことにしよう。

 

因みに。

 

同日、実家で学生時代から頑なに米を拒んでいた私が、
無意識に「おにぎり食べたい」と言って母を予想外に喜ばせる、
という出来事があった。

これはすなわち「パン派から米派への移行」といった、
ありふれた嗜好の変化なのだろうか。
年による味覚の変化には枚挙に暇がないと言うが、それなのだろうか。

 

追記

matome.naver.jp

これは近いかもしれない。
1日3つくらいの勢いでパンを食べていたから、
一生分食べ尽くしてしまったのかもしれない・・・

他の好きな食べ物についても、
こうならないように気をつけよう。

 

さらに追記

今までと少しテイストの違うブログに挑戦してみました。
この後の記事に書きますが、色々試してみようと思います。

コンサル4年目の抱負。

おはようございます!

4年目1日目は、週末のテニスと納品疲れから爆睡し、
朝は健やかに5時起床でございました。
完全に早起きおばさんです。笑

 

4年目になりました

さて、今日から4年目。

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いえあ。4年目。いえす、4年目。

正直3年やれれば御の字って思っていたところもあったので、
今日という日を迎えられたことは感慨深いなあと本当に思います。

自分だけだったら心が折れていたであろうたくさんのことを、
友人、先輩、親友、上司、恋人などの力でここまで乗り越えて
今ここまでこれたんだろうなと、
ひとえに色んな感謝しかないです。

さて、4年目なので、抱負を簡単に。

 

4年目の抱負は「自立」して「ちゃんと生きる」こと

 

この5つです。

 

  • 自分の仕事を自分の裁量できちんとやる。
  • 自分の仕事は自分で創る。アサイン運に翻弄されない。
  • 他人の痛みにも敏感になる。
  • 自発的に動き続ける。そのために考え続ける。
  • 自分を創る言葉・文章を見つける。

 

以下で少し詳しく見ていきます。

 

・自分の仕事を自分の裁量できちんとやる。


人の力をたくさん借りて案件デリバリーをするスタイルは今後も変わらないけど、
それにしても、デリバリーだけでなく品質にも責任感を持って、
仕事できるようになりたい。

 

・自分の仕事は自分で創る。アサイン運に翻弄されない。


生産性のない文句ほど意味のないものはないので、
まずは環境づくりのための努力は厭わないようにしたい。
それは案件獲得しかり、上司しかり。
そこをまず努力したら、そこからは、
ただお客様と上司に全幅の信頼を置く。きちんと仕事をする。

 

・他人の痛みに敏感になる。


自分の痛みを人に吐露することに躍起になると、
片務的な関係になってしまい、信頼を醸成するのは難しい。
相手を好いていることをアピールするだけではなく、
その人の痛みを知り、どうすれば少しでも癒すことができるのかを
考えることに時間や労力を割きたい。

大事な人の役に立つために生きたい。

 

・自発的に動き続ける。そのために考え続ける。


むしろ逆なのかな?でもこっちのがしっくり来る。

いい環境、いい会社、いいチームを作るためには
自分が持った違和感の価値を信じて、とにかく人にぶつけ、
それを形にし続けていくことが大事。

だいたいのことは失敗に終わるかもしれないけど、
プライドさえ捨ててしまえば、後はやるだけになる。
その方が生活にハリが出て、楽しいと思う。

良くする方向に動き、最後は祈る。

世の中の呪いじゃなくて、信じたもので好循環が回り、
日々幸せに生きられることをきちんと証明する。

 

・自分を創る言葉・文章を見つける。


今まで何も(進学先、就職先すら)決められなかった私が
自分の今いる場所や一緒にいる人を信じて、
自分の道を一人で生きることを選択しようとしている。

それは辛いことではあるけれども、
人生に仲間はいるから、きっと大丈夫だと思う。

それは人間関係だけではなく、
どうやら言葉や文章もそれに当たるんだと思う。

なので、今年度は一生添い遂げたいと思える言葉を見つけたい。

 

 

以上。

仕事は人生を形成する第一要素というか、人生そのものなので、
ウェットなコミュニケーションや、ラディカルな思想を
持ち込みそうになりがちだけど、凛としてしなやかでありたいです。

年初に定めた
「2017年 自分を生きる一年」をちゃんとやりきります。

 

それでは、今年度もそれぞれの持ち場で頑張りましょう。

(仕事すっか・・・)

子どもの読書と大人の読書の違いとは? ~「死ぬ前に後悔しない読書術」を読んで子どもの自分を激しく反省したお話。

自分の問題意識に肉薄する本が、
自然と自分の周りに集まってくるなと
常々不思議に思うくろえです。なんでだろうね。

 

そんな私が昔借りた本をようやく返却。

 

www.amazon.co.jp

 

こちらですね。前回の記事とも関係してるかも。

読書術とか読んじゃう残念さは置いておいて笑、
社内活動で本を扱っていることもあり、
本の読み方を考えるにあたっていい本だったのでシェアです。

 

というわけで、印象深かったところを簡単に記述していきますね。

 

最近気付いた自分の変化

 

昔は、ただ知識豊富だったり博識な人をすごいなと思っていたけど、
最近は博識さをひけらかす衒学的な人を見ると
はあ、そういうやつですか、
と苦虫を噛み潰したような顔になるようになった。

一方、日頃ひけらかさないが、困ったときに
すっ、と言葉を贈ってくれる人もまた、存在する。

 

この差はなんなんだろう、と思っていた。

(忘れてはいけないのは、私はどちらかといえば
知識を溜め込む方が好きだ、ということだ。
それはきっと、智慧ではない)

 

「子どもの読書」と「大人の読書」

 

本書には、以下のような記述がある。

 

子どもは読書により武装するが、大人は読書により武装を解除する。

 

はあなるほど、と思った。
受験戦争や単位取得のための丸暗記や、
ひけらかすことが良しとされていた場においては、
まさに子どもの読書が必要だったのだろう。
(もちろんこれも大人になっても継続することだろうが)

ただ、大人になるということを
ここまで綺麗に言語化しているのは、自分にとって驚きだった。

子どもの読書は
「現実逃避、自己正当化、知的武装のための読書、即物的な刺激を求める読書」
であり、大人の読書はそうではないのだと。

ただひたすらに耳が痛い。

 

じゃあ大人の読書ってなんだ?

 

大人の読書は、情報よりも大切なものを得るためにするものなんだそうだ。
そういう意味で言うと、大人の読書の効能とは、事後的にしか確認できないし、
なんだか即物的じゃなくて難しそうだ。

 

心のなかにじんわり残る言葉を、少しずつ増やしていくこと。
人生に役に立つ本をよむこと。
自分に頼るのではなく、過去の叡智にあたること。

 

そういう、今までイヤダイヤダと避けてきたことを、
これからはきちんとやっていきたい。

それが、自立することなんだろうと思う。
(そして現代社会においてそれはとても難しい)

 

とりあえずまともな本を読みます・・・ちょっとずつ。

 

とりま、読もうと思ってずっと先送りにしていた文豪作品。

その中でも興味の端緒を持てそうな
ヘルマン・ヘッセゲーテニーチェ
坂口安吾夏目漱石太宰治
とかは人として読もうと思いました。自戒自戒。

 

---

 

次は3年間の社会人生活の振り返り記事を書きます!多分。
もしくは今週末観たムーンライトの感想記事かな。
気が向いた方を書きます。

 

追記

3ヶ月取り組んだプロジェクトが本日ついに終焉を迎えました。
私にとっては初めてのことだらけのプロジェクトだったけど、
今までで一番いいプロジェクトでした・・・涙。

上司にも恵まれ、お客様にも恵まれ、
夢みたいな3ヶ月間でした。。。
生きてると、こんないいこともあるんだなあ。。。

明日からはちょっとつらめなアサインだけど、
切り替えて頑張ります・・・!

本を読めないのが悩みだった私が本に対して持っていた5つの「呪い」

こんにちは。

反響の有無にかかわらず、
淡々とブログを書き続けます。
思考垂れ流し女くろえです。

(会社がうるさかったときの精神集中に使うなど。)

 

今回は、読書について書いてみます。

(本当はLGBTとセクマイについて考えていて、
何か書きたくてしょうがないんだけど、
なかなか考えを言語化できずに困っているので、
いずれ公開します。。。こっちが先。。。)

 

社内ワーキンググループ「本わく」での学習促進活動

 

現在社内で学習促進のワーキンググループを立ち上げ、
有志で勝手に活動しています。

その名も「本棚わくわく藩(通称本わく)」。

 

メンバーは4人の小さなワーキンググループですが、
メンバーの読んだ本を全社におすすめして掲示したり、
社員の誰かが勉強したい分野の勉強会を企画したり、
会社にある本棚の本を適宜拡充・整理したり、
社内でトレンドになっている本で勝手に特集を組んだり、
と日々本や学習にまつわる活動をちんまりしております。

 

で、最近、複数のところで話を聞くのが
「わたし全然本読めないんだよね」という話。

 

私も本は全く読めなかった

 

私の過去を振り返ってみると、
決して私は本好きではなかったなと思います。

幼少期は決まった絵本しか読まなかったし、
小学校時代は漫画の伝記と中学受験によく出る本しか読まなかったし、
中高時代は「図書館にいる奴らはスクールカースト下のやつ」
と勝手に思いこんでいて一切本は読まなかったし(最低)、
大学時代であっても、課題の本か自己啓発本くらいしか読みませんでした。

 

社会人になるまで、小説も含めて読書経験は
(レポート作成目的を除けば)ほぼ皆無だった、と言えるでしょう。

 

今となっては後悔ばかりではありますが、
そんな、本を全く読めなかった私が、今では
毎週図書館に通い、本に関する社内活動をし、
というところまで改善した、というのは、
自分で書いてみても少しだけ感慨深いものがあります。
(もちろん、今も長文は読めないわけですが・・・)

 

というわけで、今回は
「過去の自分の持っていた呪いと、その処方箋」
ということについて、書いてみようと思います。

 

私の持っていた5つの「呪い」

 

  1. 最後まで読まないといけない
  2. 読んだらすべての知識を吸収しないといけない
  3. 読んだら読了なので、もう2度と読まない
  4. メモしながら読まないといけない
  5. 教訓のない本には意味がない

 

以上の5つです。少し詳細に見ていきますね。

 

1.最後まで読まないといけない

手に取った本は、全てきちんと読むべきだと思っていました。

 

2.読んだらすべての知識を吸収しないといけない

手に取った本からは、詳細にメモを取り、余すことなく知識を吸収すべきだと思っていました。

 

3.読んだら読了なので、もう2度と読まない

上記のように、かなり精読をしてメモをとるので、もう二度と開かなくていいようにしようと思っていました。

 

4.メモしながら読まないといけない

そのとき感じたことときちんと向き合おうと思っていたので、メモや感想をくまなくノートに書いていました。
逆に言えば、ノートの取れない環境では、本は読めないものだと思っていました。

 

5.教訓のない本には意味がない

意味のあるもの、他人に言えるようなものしか読んではいけないと思っていました。

だから、エッセイや小説は、読むべきではない、と思っていました。

 

(今も上記は抜け切らない部分はある・・・)

 

社会人になって起こった「呪いからの解放」

 

多分、本をよく読む人との会話などによって、
少しずつ、本へのバイアスがほどけていきました。

そこで得られた発見を4つほど。

  1. 「優等生」な読み方でなくてもいい
  2. 何度読んでも違う発見がある
  3. 本を通じて自分を発見する
  4. カッコつけのための本ではない

以下は、私の呪いの解放を少し詳しく見ていきます。

 

1.「優等生」でなくてもいいという赦し

パラ読みでもいい。目次だけで放棄してもいい。
本に対するスタンスが軽くなったので、
本を手に取る時の肩の荷も軽くなったように思います。

 

2.何度読んでも違う発見があることへの気付き

一度読んで全部を吸収しなくてもいいし、
何度読んでも退屈しない本はある。
そう思えるようになったので、本の内容を
詳細に記録しないでも本を読めるようになりました。

 

3.本を通じて自分を発見するといういとなみ

本から何かを学ぶ、というスタンスが大きかったのですが、
その本を読んだときの自分の心の動きに関心をもったり、
自分の視点転換をメタ化しようとすることで、
どんな本であっても、一旦読んでみることが出来るようになりました。

 

4.カッコつけのための本ではない

であれば、意味のあるもの、他人に言えるようなものである必要はありません。
かっこつけのために難しい本を読むのは苦役なので、
(もちろん必要なときもあるのですが、)
自分がその時に心の向いた本をよむようになりました。

 

新しいマインドセット

 

今は、以下のようなマインドセットで
本と向き合おうといいなって思っています。

(出来ているわけではない)

  1. 自分を知るために本を選ぶ
  2. まずは目次をしっかり読む
  3. 全部読もうとせず、変だなと思ったらやめる
  4. 最初から買わない
  5. 興味範囲を広げる
  6. 「困った時、傷ついた時に、寄り添ってくれる本」を見つける

以下、もう少し詳しく。

 

1.自分を知るために本を選ぶ

自分がどんな本が心地よいのかを知る時間として。
自分が手に取った本に関心を持つ、という順番でもいいのかな、と思っています。

 

2.まずは目次をしっかり読む

中身まで入る前に、全体像を把握することで、
意味不明な徒労感から開放されたいと思っています。

 

3.全部読もうとせず、変だなと思ったらやめる

今はタイミングじゃないんだな、とか、
今後こういうふうになったときには読めるな、とか、
てきとうに自分を諦めさせるようにしようと思っています。

 

4.最初から買わない

まずは立ち読み、もしくは図書館で。
何度でも読み返したいと思ったら購入。
というように、段階をつけることで、
じょじょに本を自由意思と多幸感のなかで読めるようになりたいです。

 

5.興味範囲を広げる

自分の心の赴くままに本を読むと、
自分の関心領域に関する本ばかり読んでしまいます。

興味範囲はいってい広いとは言え、
このままでいいのか、という感じもあり・・・

なので、他人のおすすめを
積極的に受け入れようと思います。

 

6.「困った時、傷ついた時に、寄り添ってくれる本」を見つける

とはいえ、心の赴くままにやるのではなく、
ゆくゆくは見つけていきたいのは、
拠り所になる本の存在です。

でもこれ、どうやって見つけるんだろう。
これも信頼できる他人のおすすめかな。

ちょっとずつ、探していきたいです。
今のところは「星の王子さま」かなあ。

 

 

・・・以上です。また長くなってしまった。

 

「本を手に取るまでのステップ」については、
次の記事で書きます(多分)。

 

それでは。

【逃げ恥】「呪い」から、解き放たれなくてもいいじゃない?

こんにちは。

最近再び仕事のし過ぎで、
頭とか色んなところがおかしくなってきている
くろえです。(これを3末現象と呼びます)


※弊社は予算消化に活躍しがち

現実逃避に記事投稿します。

 

逃げるは恥だが役に立つ

 

突然ですが、アレ、よかったですよね。

価値規範に対する意識が一定高く、
スペックも高いゆえに少し生きづらい男女。

双方の心がじょじょに溶けていく様子が、
見ている者の心をも浄化するような作品だったように思います。

とにもかくにも、星野源がイケメンで死ぬかと思った作品でしたね。
(塩顔男子崇拝クラスタ!顔は何もない方が良い!)

 

だがしかし大本命はゆりちゃん


特に、主人公みくりの伯母であるゆりちゃんはやばかった。
強いのに弱いのにきちんと自己肯定をして前を向いている、
そんなゆりちゃんに萌えというより敬愛の気持ちを覚えました。

 

名台詞「自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい。」


話は本題へ。私はこの話がしたかった。

「枠にはめる」ことは呪いなのか。
呪いからは逃げたほうがいいのか。

私はその問いとずっと戦ってきたように思います。
考えては、枠組みにはまっている自分を嫌いになっていました。

 

この思考に対して、一定の解を与えているのが、
このゆりちゃんのセリフのように思えたのです。

 

人間は「縛られたい」と「束縛から解き放たれたい」という、
相反する2つの欲求を持っていると思っています。

それはどちらも間違っていない。
振り子のように、その感情を行き来することで
毎日を過ごしているように思います。

 

そしてそのことは、生きることの命題でもある
「死なないように生きる」ことのために
必要な試行錯誤であるようにも思います。

 

だからこそ、呪いの取扱いに一喜一憂するのではなく、
そんな呪いからとっとと逃げてしまって、
呪いから開放された上で前を向き、
よりよいいとなみをできるよう工夫できるように、
という示唆なんだろうなと思いました。

 

自分自身の自戒にも強く繋がりました。
私は、自分を呪いから解放しようとしました。

 

呪いから解き放たれるとどうなるのか

 

呪いから逃げ、逃げ、逃げ回ると、
いつのまにか呪いから解き放たれている(と錯覚する)
状態に近づいていきます。

 

そのとき、何が起こるのか。

 

呪いによって自分を拘束していた自分との出会いがもたらされます。
そして、呪いなしに立つことの出来ない自分への絶望。

 

わたしは、呪われている方が楽だった、と思いました。
だって、価値規範を選択せずとも社会の流れに乗っかれば
それなりの行動が取りやすいから。

呪いから解放されすぎると、
自分への過信をせざるを得なくなったり、
風当たりの強さから心が折れてしまったり。
社会の流れに棹さすのは、
殺すか死ぬか、くらいの戦いであるようにも感じられました。

 

呪いにも棹を刺さない

 

私は思いました。


「呪いからの解放」に躍起になっても、
結局戻ってくるのは同じ場所であると。

なので、一旦見ないことにすることにしました。
呪いも、呪われている人も、呪われている自分自身も。

そうなった後、自分がどうなるのか。
それを客観的に観測するのが、
2017年のわたしのやるべきことかな、と思います。

 

上善如水を少しでも意識して、
日々を健やかに生きていきたいです。